【雑記】文章が綴れなくなってきたから三十路にして既に人生終了間近。

 僕がいわゆる「コミュ障」であることは誰もが異論の余地なく認めるところで、僕は他者との対話が絶望的に苦手なので、自然とそれを忌避して生きてきた。

 ところが、ある日、次のような情報に接した。
「他者とのコミュニケーションに乏しい人間は、認知症や鬱病といった精神疾患に罹りやすい」

 僕はコミュ障で他者とのコミュニケーションを全力で回避しながら生きているが、一方で、「心身ともに健康なままで長生きしたい」とも思っている。願っている。何がなんでもそうなってやると決意している。絶対に「ぼっち」のままでリア充よりも幸せに長生きしてやると意地になってさえいる。

 そのようなわけで、リアルなホモ・サピエンスと接触を持つことなく、自分の認知機能を低下させない、脳ミソを若々しく保つための手段を色々と考えてきた。

 その主たるものは、読書である。
 「黙読」だけでなく、「音読」も認知機能や発話や嚥下能力の劣化防止に役立つらしいので積極的に行っている。
 NHKの「今日の健康」で、「パタカラ」という単語を連続で発音すると嚥下能力や滑舌の向上に役立つと言っていたので、それを実践したりもしている。
 隣人に僕の音読や「パタカラ体操」が聞こえているのか、聞こえていたらばどのように思われているのか興味があるが、コミュ障なので訊けていない。そればかりか共用部ですれ違っても挨拶すらしたことがない。

 また、情報を耳から捉える力を低下させないために、ラジオを聴いたり、漫才落語の類をYouTubeで観たりしている。テレビで録画しておいたニュースを倍速で流したりもしている。

 過去には、漢字検定や日本語検定の勉強をしたりもしていた。

 そして、このブログも、「文章を書くことで認知能力の低下を防ぐ」というのが一つの目的としてある。
(主たる目的はプロフィールでも述べているように「ポジティブな行動を起すための誘因とすること」だが。)

 最強の勉強法が「習った内容を第三者に分かりやすく教えてみること」であるというのは知っている人なら知っていると思うが、認知機能を低下させない(向上させる)ためにはinputだけでなくoutputが必須である。

 コミュ障の僕としては、リアルホモサピエンスとの対話は選択しづらいわけであるから、このブログに文章を記すことでoutputを行うしかないわけだ。

 ところが最近、なんだか言葉が出てこない。

 生身の人間を前にして言葉に詰まるというのはこれまでの人生で飽きるほど経験してきたが、書き言葉が出てこないというのは最近になって現れ始めた症状だ。

 ヤバい。

 僕の認知機能は、頭髪が薄くなっていくのと比例するかのように、確実に減衰してきている。

 多くの専門家がのたまうように、孤独な人間は、早期に、若年のうちに認知機能に障害を抱える運命なのかもしれない。

 まだ三十路なのに、健康寿命末期、人生終了のカウントダウン始まっちゃってる感がある。

 ちなみに、働き盛りの30代ならば仕事で認知機能を鍛えられるのが普通であろうが、僕の現在の賃金奴隷労働は基本的に同じ作業の反復でしかない(それを望んだのだが)。書類作成やメールでのやり取りなんか、特定の単語を「Ctrl+H」で置換するだけで出来ちゃうんじゃねえの、と半ば真剣に検討してしまうほどだ。まわりのホモ・サピエンスも単調なルーティンワークにどっぷりと漬かっている。そんな環境で奴隷労働をいくらこなそうが何ら認知機能の向上には寄与しない。むしろ、精神を摩耗するばかりで逆に脳ミソに悪影響を与えていると言っても過言ではなかろう。


 以上のように、最近、認知機能の劣化を痛感しているのだが、しかしながら、悲嘆しているばかりでは状況は好転しない。埒が明かない。
 「筋肉は裏切らない」とマッチョ思想の誰かも言っていた。努力至上主義は僕が嫌悪する思想の一つであるが、まあ、フツーに考えて、鍛え続けていれば向上しないまでも劣化速度を緩めることはできよう。

 そのようなわけで、僕はブログの更新を頑張っていきたいと思います。
 稚拙な文章がさらに劣化していると感じられることも多々あるかとは思いますがご容赦ください。むしろ厳しく指摘してくださると逆に有難いかもしれません。



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