【脱・ポルノ中毒】「OSO18」になりたくない中年独身男【脱・欲望の怪物】

●「欲望の奴隷」と化した「怪物ヒグマ」の最期。

 「OSO18」が死んだらしい。
 放牧された乳牛を連続して襲い、その肉を貪り食い、北海道の畜産業者を恐怖に陥れた「怪物ヒグマ」。その最期は、あっけないものだったようだ。

 雑食性のヒグマが捕食のために狩りを行うこと自体、実は珍しいことらしい。肉を食うとしても、屍肉をあさる「スカベンジャー」的傾向が強いという。
 しかしながら、OSO18がとりわけ恐れられた理由は、その捕食対象が主として畜牛だったからだ。山奥で自然動物を狩るのではなく、放牧地に出てきて畜産動物を襲う。
 その行為は、人間のテリトリーへの侵犯に他ならない。

 餌食となった畜牛の死骸は、どうしたって人間の目に入る。
 畜産業者に与える経済的損失だけでなく、その凄惨な捕食現場が人々に与えるインパクトの大きさから、OSO18は官民挙げての大規模な捕獲計画の対象となった。
 しかし、OSO18は極めて慎重かつ狡猾な個体であり、熟練のプロハンターたちをもってしても生きている姿を見ることすら叶わなかった。
 恐怖に駆られた人間が血眼になって探しているのを嘲笑うかのように、OSO18はしたたかに放牧中の畜牛を次々と襲っていった。
 現場に残された足跡などからOSO18は大型のオスのヒグマとされ、その異常な捕食行動と相まって、「怪物ヒグマ」と呼ばれるようになった。

 NHKが「OSO18」について特集番組を初めて製作したのは、1年ほど前だったと記憶している。
 たまたまその番組を見ていた僕は、興奮した。北海道の畜産業者には悪いが、「怪物ヒグマ・OSO18」という言葉の響きだけで興奮した。その番組の中では、「OSO18は捕食だけでなく愉しみのために畜牛を襲っている」というニュアンスも加味されており、さらに興奮した。理由は分からないが、とにかく興奮した。

 そして、数日前(2023年10月11日)、再びNHKが「OSO18」の特集番組を放送した。
 あんなに僕を興奮させたOSO18があっけなく死んだことが、冒頭で語られた。

 極度に衰弱しており、たまたま遭遇した役場職員の姿を見ても、逃げる様子すらなかったという。
 猟銃で仕留めた役場職員も、痩せ細り、毛並みもよくないこのクマが、まさか、「怪物ヒグマ」として恐れられていた、あのOSO18だとは思いもしなかったという。

 NHKの番組ディレクターは焦った。
 「怪物ヒグマ・OSO18」というショッキングな存在を利用して、いくつもドキュメンタリー番組を制作しようと目論んでいたのに、それが突然、一方的に打ち切られたのだ。
 OSO18のストーリーは唐突に幕切れとなった。もうOSO18が畜牛を襲うことはないし、OSO18を捕獲しようと奮闘するプロハンターたちとの死闘も追えない。

 番組の新たな軸を考える必要があった。
 現在進行形のスリリングな捕獲劇を追えない以上、「OSO18とは何者だったのか」というテーマで番組を制作するしかない。
 死して伝説となったOSO18は、一般化され、抽象化され、現代社会への警鐘を鳴らすシンボルとして扱われることになる。

 番組ディレクターの執念が凄まじい。
 銃殺された後すぐには「OSO18」と気づかれなかったため、OSO18の死骸はジビエ解体業者へと持ち込まれ、細かな肉片となり、全国各地の飲食店などへ出荷されていた。残ったOSO18の骨や皮は、解体業者の廃棄物保管所に無造作に捨てられていた。
 ディレクターは、腐敗し発酵し強烈な悪臭と熱を放っている、ジビエ(主としてシカ)の、売りものにならない臓物、汚物、毛皮、骨からなる大量の山を手作業で漁って、執念の末に、OSO18の骨を見つけ出す。

 そうして見つけたOSO18の骨を、専門の分析機関で調べてもらったところ、驚愕の事実が判明する。
 それは、「OSO18が終生、一貫して『肉食』だった」ということである。

 上述したように、ヒグマの”本来の”食性は「雑食」である。
 雑食性の動物は、手に入りやすい食材を優先して摂食する。ヒグマの生息地である北海道には豊かな森が広がっており、ヒグマが食べられる草木や果実などが豊富だ。結果として、北海道のヒグマは、ほぼ草食の個体が多いとされる。
 北海道のヒグマであるOSO18が「完全な肉食」であったことの異常性は、それについて言葉を交わすプロハンターたちの興奮ぶりからも伺えた。
「オレァ、ずっと追ってきたから、アイツが異常なことはすっぐに分がった。アイツが通った道に生えてた草木、いっこも食われてねっの。ふっつうのクマなら食うべや。アイツは完全な肉食。異常だべ」「んだんだ」(※意訳)

 ディレクターの次なる疑問――OSO18という存在を解明する手がかりは、「なぜOSO18は完全なる肉食となったのか」「なぜ肉に執着するようになったのか」だった。
 「肉が容易に手に入る環境にOSO18が置かれていたから」と考えるのが、動物行動学的に妥当だ。
 問題は、「その肉は何か」「どうしてそれほど簡単に手に入る肉があったのか」だ。
 取材を進める中で、ディレクターはひとつの事実に辿り着き、OSO18が「スリリングな捕獲劇における凶悪犯」ではなく、「重厚な社会派ドキュメンタリーにおける、現代社会の被害者」になれることを発見し、ニンマリと笑う。これで番組がうまくおさまるぞ、と。

 結論から言うと、「北海道の森の中で容易に手に入り、草木よりもうまい食物」としてOSO18が発見した食物は、「エゾシカの死肉」だった。
 その昔、北海道のエゾシカは、狩猟や放牧地の開拓などにより数を減らしていた。国の天然記念物となった後、エゾシカは積極的な保護政策の対象となり、急激に個体数を回復した。というより、増えすぎた。今度は、エゾシカによる食害によって森や放牧地が荒らされ、エゾシカは害獣処分の対象となった。殺したエゾシカの死骸を処分するにも費用がかかる。エゾシカの死骸は現場にそのまま放置されることも多かったという。
 その放置された大量のエゾシカの死骸をたらふく食って、「肉の味」を覚えたのがOSO18だった。
 エゾシカの個体数が一定程度までに減少すると、害獣処分による死骸は森の中から消える。
 その時点で肉に執着するようになっていたOSO18は、エゾシカではない「新たな肉」を求めて放牧地へと現れることになる。
 こうして、「怪物ヒグマ・OSO18」は生まれた。

 科学的には以上の仮説に終始するのだが、テレビ番組としてはこれで終われない。
 ディレクターは、この「事実(仮説)」から社会派ドキュメンタリー的な「物語」を紡ぐ必要があった。

 ナレーションが重々しい口調で語る。
「人間の身勝手で、作り変えられる森の環境。そこから生まれたのがOSO18だとすれば、OSO18は我々人間社会が生み出した『怪物』だ。彼もまた、ヒグマの自然本来の生き方から無理やり引き離された、『現代社会の被害者』だったのかもしれない」(※意訳)

 実にうまくまとまっている。
 取材対象の予期せぬ喪失という逆境をものともせず、1本のドキュメンタリー番組を綺麗にまとめあげたNHKディレクターの巧みな手腕に感服するしかない。
 エンドロールでは、北海道の解体業者からOSO18の肉を仕入れた、東京都内のジビエ料理専門店において、「怪物ヒグマ・OSO18」の肉を食らう中年カップルのすがたが映し出される。最後まで、演出がにくい。
 実におもしろい、と言うしかない。

 エゾシカを「天然記念物」として保護したり、「害獣」として駆除したりしたのは、人間である。
 殺したエゾシカの死骸を森の中に放置したのも、人間である。
 北海道の豊かな森の中で、本来であれば必要ではない「肉の味」をOSO18に覚えさせたのは、人間である。

 人間が生み出した「新たな快楽」に抗うことができず、OSO18は「怪物ヒグマ」となった。

 人間がエゾシカの死骸を森の中に放置したりしなければ。
 人間が森を切り拓き、放牧をしていなければ。
 「怪物ヒグマ」は生まれなかったのかもしれない。

●「ポルノ」という人工物に生身の独身中年男が抗うのも、また困難。

 おもしろいドキュメンタリーを見たという満足感だけで数日を過ごしていたのだが、ある日、日課のマスターベーションをしながらポルノ動画を鑑賞している最中、僕は、僕とOSO18の類似性に気づいてしまう。

 すなわち、「人工物によって欲望を刺激され、それに抗うことができなくなっている」という点だ。

 30代も半ばになると性欲が衰えてくる。若い頃のように、ささいなことで性的に興奮できるわけではない。脳内想像と自らの身体(主として利き手である右手)だけで射精に至るのは、困難だ。
 とは言え、性的絶頂を迎える瞬間の快楽は、肉体が強烈に記憶しており、簡単に手放せるものではない。
 結果、快楽を手っ取り早く得ようと、中年独身男はポルノに手を伸ばすことになる。

 ここまではいい。
 正常だ。まったくもって正常だ。
 世の中年独身男性の99.99%が自然に導かれることになる、当然の帰結だ。

 問題は、その「依存度」にある。

 OSO18が怪物として忌み嫌われたのは、その欲望の向かう先が畜産動物の肉「だけ」だったからだ。OSO18が、1つの食物に「完全に」依存していたからだ。「依存度100%」だったのが問題だ。
 OSO18の食性向が多方面にわたっていれば、仮に畜牛の1頭や2頭食ったとて、あれほど問題視され人間に忌み嫌われることもなかっただろう。

 「欲望の対象の『選択肢』が欠乏している」という状況は、好ましくない。
 他の「選択肢」への関心が著しく低下するからだ。
 性欲を満たすための手段は、言うまでもなく「ポルノ鑑賞」に限られない。恋愛をしてパートナーを見つけてもいいし、経済的取引(性風俗)を活用してもいい。むしろ、そういった選択肢のほうがより多くの快楽を得る可能性が高い。

 にも関わらず、なぜ、僕の欲求はそれらオルタナティブな選択肢に向かわないのか。

 答えは単純で、ポルノ鑑賞が性欲を満たすために「もっとも手っ取り早い手段」だからである。

 易きに流されるのが、すべての生物の性(さが)だ。

 OSO18も、また然りだった。

 「怪物ヒグマ」という人間が勝手につけた異名から、OSO18がオスのヒグマの中でも特に強暴な個体だったと誤認してはならない。
 番組はOSO18が死に追いつめられていった原因を探る中で、むしろ、OSO18の「劣位性」に言及していた。
 北海道の森ではエゾシカの個体数が回復した(増えた)ことで、ヒグマが食べられる植物性の食物(木の実など)が相対的に減少していた。多くのヒグマ(雑食性)はエサを求めて行動範囲を拡大させた。そして、OSO18のナワバリに侵入する。
 この年、OSO18のナワバリには、例年になく多くのオスのヒグマの存在が確認された。
 「怪物ヒグマ」が、他のオスと対峙したときどうなったか――。
 あっけなく、負けたらしい。
 人間が勝手に作り出した「怪物ヒグマ」という言葉の響きから、どうしても、OSO18は「オスのヒグマの中でも特に強暴な個体」と認識しがちだ。ナワバリやメスをめぐる他のオスとの争いでも優位な立場に立っていただろうと、錯覚してしまう。
 それは、誤りだった。
 生前、唯一撮影されたOSO18の映像を詳細に分析した結果、彼の体格は特に大きいというわけでもなく、オスのヒグマの標準的なサイズだった。また、役場のハンターに偶発的に射殺される際、あれほど執拗に人間を忌避していたOSO18は逃げるそぶりすら見せなかったという。極度に痩せ細り、逃げる力すらないように見えたという。また、その体には他のオスにつけられたと思われる複数の傷があった。
 OSO18が射殺された場所は、例年の行動範囲から大きく逸脱していた。他のオスとの競争に敗れ、ナワバリを追われた。そう解釈するのが自然であるらしい。

 ここで確認しておかなければならないことは、畜牛の肉は、OSO18にとって「苦労して手に入れた宝物ではなかった」ということだ。努力の末に獲得した成果物では、決してなかった。
 むしろ、「棚からぼた餅」的に簡単に手に入れられるものにすぎなかった。
 多くの雑食性のヒグマとエサを巡って争う必要もなく食欲を満たすための、「手っ取り早い手段」が、OSO18の前に用意されていたにすぎない。たまたま、ぼた餅の味を覚えてしまったにすぎない。
 他のヒグマが雑食性の食物を獲得しようとしのぎを削る中で、その競争から弾き出された、あるいは最初から参加すらしなかった「落伍者」がOSO18だったのだ。

 「畜牛の肉」という人工物に依存しなければ食欲を満たせなかった負け犬が、OSO18だ。

 「ポルノ」という人工物に依存しなければ性欲を満たせなくなっている憐れな負け犬が、僕だ。

 結局のところ、僕が「ポルノ中毒」と自己認識せざるを得ないほどポルノに依存しなければならなくなっているのは、他のホモ・サピエンスのオスとの競争に勝つことができなかったからだ。
 人間的あるいは性的魅力に劣るので、恋人やセフレができない。経済的な面でも劣るから、性産業(風俗)を多用することもできない。

 そんな僕の前に現れたのが、定額制インターネット時代のポルノ動画だ。

 何本見ようが、何時間見ようが、何回抜こうが、料金は同じだ。快楽だけが増えていく。性的欲求だけが満たされていく。

 なんという、手っ取り早い快楽の獲得!

 こうなると、もう、オティンコポンの暴走を止めることはできない。
 股の間から雄々しく屹立した物体が、僕の身体を操る。
 主体である僕の意思の力なんぞ遥かに凌駕する圧倒的な存在が、左手を操りスマホにポルノ動画を表示させ、右手を操りオティンコポンを慰撫する。

 オティンコポンの要求は日に日に増していく。
 もっと回数を。もっと過激な動画を。もっと興奮する環境を。

 マスターベーションの頻度や、それに要する時間は、10代後半~20代前半のもっとも精力のあった頃に並ぶ。いや、当時を超えたかもしれない。毎日欠かせないし、1日あたりの直近の最高記録は4回(4発)である。
 異常だ。

 一方で、身体は老いている。
 オティンコポンの要求に応えた後の僕は、へとへとにくたびれ果てている。

 要求が過大になればなるほど、射精後の「賢者タイム」は長くなっていった。
 「賢者タイム」は徐々に引き延ばされ、いつしか、僕の日常は「オティンコポンに操られ性的快楽に耽っている時間」と「無気力な賢者タイム」だけになる。

 他の欲求への関心が湧かなくなっている。

 オナニー以外、なにも、やる気が、起きない。

 あー、俺、きっと、射殺されるわ。と思う。
 射殺されないまでも、ロクな死に方せんわ。と思う。
 OSO18と一緒やわ、人間が与えてくれる「人工的な快楽」にどっぷりハマってもうて抜け出せへん、地獄一直線や。と思う。

 やっべー、と思った。
 冷静に、やっっっべぇぇぇえええええー、と思っている。

●「脱・ポルノ中毒」へ向けて――。

【理論編】中毒に陥る仕組みを学ぶ。

 そんなある日、YouTubeを開いたら、「ドーパミン依存」に関する動画が上位に表示された。
 YouTubeの「おすすめ動画」のアルゴリズムがどうなっているのか知る由もないが、ポルノ中毒に陥っている僕にとっては実にタイムリーな動画だった。おそらく、無意識のうちに「脱・ポルノ中毒」に向けての情報を検索していたのだろう。(ブログを書くにあたって、その動画をもう一度見ようと探したが見つからなかった。)

 その動画で語られていたことは、単純だ。

(1)「薬物中毒」「アルコール中毒」「ポルノ中毒」「スマホ中毒」などは、結局のところ、すべて「過度のドーパミン欲求」として説明できる。

(2)「ドーパミン」による幸福感は長続きせず、むしろ、その幸福感に比例する程度の「気分の落ち込み」が引き起こされる。(オナニー後の「賢者タイム」のように。)


(3)現代社会は「ドーパミン」を簡単に手に入れられる環境にあり、気分の落ち込みから脱しようと、再び「ドーパミン」を求める。求める「ドーパミン」の量は徐々に増えていき、特定の対象物に依存するようになる。


(4)快楽物質には、「ドーパミン」の他に、「セロトニン」や「オキシトシン」がある。「セロトニン」や「オキシトシン」は、「ドーパミン」と違って、幸福感が長続きし、気分の落ち込みも伴わない。


(5)なにかの中毒・依存から脱するには、「ドーパミン」を(過度に)求めるのではなく、「セロトニン」や「オキシトシン」を積極的に求めるように行動を変容すればよい。

 以上だ。
 曖昧な記憶で簡潔にまとめたので情報が不正確なところもあるかもしれないが、大筋は合っていると思う。

 動画では、ドーパミン依存に陥り廃人になっていく過程が詳細に語られ、ドーパミンをただ断とうとすることがいかに困難なことであるかが語られていた。
 ドーパミンへの依存をやめるには、同時に他の快楽物質(セロトニン、オキシトシン)を獲得するように努めなければならないという。
 やはり、オルタナティブな選択肢が重要なのだ。

【実践編】2024年1月から「オナ禁」するぜ!

 今の僕はドーパミンを最も効率的に得るため「ポルノ」に依存している。
 それでなんの問題も生じないなら結構な話なのだが、「賢者タイムの長期化」「意欲の減退」「無気力」といった副作用に困らされている。そのデメリットがメリットを上回ってきていると感じている。

 そこで、とりあえず「ポルノ動画を断つ」ことが、必須の解決策となる。欲望を過度に刺激する人工物は唾棄しなければならない

 ただし、上述のように、快楽物質を得るための「代替案」を用意しないまま欲望を抑えることは、極めて難しい。

 そのため、ポルノ以外の方法で「快楽物質を獲得する方法」を考えなければならない。
 以下の複数の方法を試してみることにする。

 まず最初に考えた代替案が、「オナ禁」だ。オナ禁とは、言わずもがな、自慰行為を断つことを指す。
 今回は、オナニーを断つ期間を「2024年元旦からの2週間」としたい。

 ポルノに性欲を過剰に刺激されることが問題なわけだから、オナニー自体を断つ必要性は必ずしもない。
 では、なぜ僕は「オナ禁」をしようとするのか
 それは、快楽物質の中でもとりわけ「ドーパミン」を獲得する代替手段になると考えたからだ。

 ドーパミンは、快楽物質の中でも「報酬系」の快楽物質とされている。つまり、何かしらの「報酬」「褒美」「成果」「目標達成」が獲得できたときに、ドーパミンは脳内に散布されるわけだ。
 ということは、射精以外の「褒美」を獲得できるような、適切な「目標」を僕に与えてやればいいことになる。

 「オナ禁」は、人間の「理性」による「動物性」の克服だ。
 「オナ禁」を達成することによって、僕は、「理性によって自分の欲望をコントロールできる真っ当な人間」であることを証明することができる。
 その証明を果たすことで、自己肯定感というドーパミンを獲得できる。

 また、中学生の頃に精通して以来、30半ばの現在に至るまで、僕は「オナ禁」というものを行ったことがない。オナニーを行わなかった最長期間は、せいぜい2~3日だったと思う。
 今回の「オナ禁」の目標期間は、「2週間」だ。
 人生で初めての壮大なプロジェクトとなる。
 2週間もオナ禁をしたら、僕は一体全体どういった状態に陥るのか。
 非常に興味がある。
 「未知のことが既知になる」ことでも、ドーパミンが獲得できる。

 さらに、あくまで副次的なものとなるが、ネット上では「オナ禁」による効用がいろいろと語られている
 「テストステロンという物質が増加する」「集中力や意欲が向上する」「筋肉が肥大化しやするくなる」「ハゲの進行が抑えられる」「ヒゲが薄くなり、肌の質が改善する」といったことだ。
 科学的な真偽については相当怪しいが、これらの言説が正しいと信じたほうが今の僕にとってはモチベーションの向上につながるので、真偽は置いといて、とりあえず信じることにする。

 また、「オナ禁」期間中(2週間)、毎日、顔(頭部含む)の写真を撮って、ハゲ・ヒゲ・肌質に変化があるかを観察してみたい
 これも「知的好奇心を満たす」というドーパミンの獲得につながる。


 報酬系の快楽物質である「ドーパミン」獲得の代替案は、以上となる。


 次に考えるべきは、他の快楽物質(セロトニン、オキシトシン)の獲得だ。

 「セロトニン」の獲得は、ネット情報によると、比較的容易なようだ。
 とりあえず、以下の3つを試してみることにする。

① 休日(出勤しない日)は、午前中に「散歩」に出かけ、太陽光をたっぷり浴びる。
② 2日に1度程度の頻度で、豆乳を飲み、玄米を食べる。
➂ 休日は、湯船にゆっくり浸かる。または、温泉やサウナを利用する。

 「オキシトシン」は、”愛情ホルモン””信頼ホルモン”とも呼ばれているようで、その獲得には「他者」の存在が必要とされ、孤独な中年男の僕にとってはなかなか獲得が難しそうだ。
 比較的容易に実践できることとして以下の2つが考えられるが、面倒そうなので実行するかは不明。

① マッサージを受ける。
② 他人に親切にする。


 以上が、「ポルノ鑑賞」に代わる「快楽物質の獲得法」となる。
 その中心は、「オナ禁」だ。
 とりあえず、2024年1月1日~14日、新年を迎えた清新な気持ちで「オナ禁」を実行するぜ!
 その結果については、当然ブログでも報告する。
 どのような結末を迎えるのか。自分でも非常に楽しみだ。


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