【日常】若白髪が黒髪を駆逐するとき。

 今朝、いつものように鏡を見ながら髪を梳かしていて、僕はそれを発見した。
 滑らかに流れる黒髪の束から、白髪が一本、自らの存在を主張するかのようにピン、と飛び出していた。洗面所の小窓から朝陽が射し込み、白銀の毛髪をキラキラと煌めかせた。
 目立つので、引き抜いた。躊躇なく。
 やれやれ。
 最近、白髪を抜く頻度が多くなってきた気がする。
 ため息しか出ない。

 子どもの頃の僕にとって、白髪なんてものは、人知れぬ山奥で悟りの境地に至った崇高な老人の頭から生えているものだった。アニメなんかでも「白髪の老人」は善徳や智恵の象徴ではないか。
 長い人生の中で酸いも甘いも多様な経験をし尽くして、後は死を待つだけの彼らは、欲や憎悪といった俗世間のシガラミから解放され、その証として「白髪」を手に入れる。そして、生き字引として若輩たちに有益な助言をする。こうして、白髪を持つ人間は尊ばれることになる。
 幼い僕にとって白髪とは、そういう老賢者の象徴であった。

 だから初めて自分の頭髪の中に白髪を発見したとき、僕は高校生だったのだが、自分が少しだけ賢い人間になったような気がした。白髪がある高校生のほうが白髪がない高校生よりも賢いような気さえした。
 しかし、そんな僕に母が言った。

「アンタ何か悩みでもあるの? 若白髪はストレスが原因なんだよ」

 どうやら、僕の白髪は、老人たちの白髪とは似て非なるものらしかった。
 若白髪は、善徳や智恵の象徴ではない。そればかりか、煩悩が運んでくるストレスの象徴なのであった。欲がないところにストレスは生じない。若白髪は、僕が俗世間の一員で、しかも、何らかの欲求が満たされていないことを証明しているに過ぎなかった。
 若くして白髪を生やしているということは、「僕は欲求不満の俗人です」と世間に公言していることに等しかった。
 若者にとって、白髪は恥だ。
 母の言葉を聞いた僕は、すぐに忌々しい白髪を引っこ抜いた。躊躇なく。
 乱暴に引き抜いた後、頭皮が少しジンジンと痛かった。

 以後、僕は白髪との闘いを続けている。
 奴らを発見すれば、なんの慈哀もなく、躊躇なく、速攻で、引っこ抜く。
 大学の頃までは、白髪の奴が現れるのは月に一、二度あるかないかだった。だから、奴らを抹消するのに、それほどの労力を割くことはなかった。
 だが、最近の奴らの増殖ぶりときたらどうだ。
 一ヶ月や一週間どころか、毎日、新たな白髪が現れている気がする。

 僕の俗欲は何ら衰えを見せず、そればかりか増大しているというのに、それが満たされる機会は逆に歳を重ねるほど少なくなってきて、ストレスが確実に体内に貯蓄されていき、それを養分にして頭髪から、一本、また一本と、白髪が生えてくる。

 白髪の増殖スピードは日々速まっている。
 僕は毎日、白髪を抜く。
 しかし、いつしか白髪の増殖スピードに僕はついていけなくなる。
 抜いても抜いても、キリがない。

 こうして、若白髪が黒髪を駆逐していく。
 髪の色は、黒色から、暗い灰色へ、明るい灰色へ、そうして、雪のような白になった。
 ただし、白髪の下の僕の顔は、若者のままなのだった。
 その組み合わせは、この世の苦痛を一身に浴び続けた哀れな俗人の象徴であった。


 というような近未来を想像して、近所のドラッグストアに黒染め液を買いに行った。
 抜くのが追いつかないのなら、染めればいいのだ。
 若白髪なんて怖くない~♪ と鼻唄まじりで帰宅する途中、僕は気付いた。

 問題の本質は、白髪が生えることではなく、僕が日々ストレスに曝されていることなのだ。
 僕がしなければならないことは、ストレスを失くすための行動を起こすことで、髪を黒く染めることに何の意味があるだろう。

 僕は、黒染めスプレーの入ったレジ袋を公園のゴミ箱にぶち込むと、ベンチに座って、一緒に買っておいた缶コーヒーを喉に流し込んだ。
 公園では白髪の老人たちが楽しげにゲートボールに興じていた。

(※この記事は旧ブログからの移管記事です。2014年春up)

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