【雑感】存在意義について僕が考えたこと。

 先日、会社の上司に絶対零度の冷たい声でこう言われた。
「君の代わりは、いくらでもいるんだよ」
 僕の背筋に寒気が走った。ぶるる。
 無言で上司に頭を下げ、自分の席に戻った。同僚の視線が気になって、何気なく周りを見渡したら、彼らと目が合ってしまい、互いにさっと視線を逸らした。
 そのとき、僕は気付いた。

 うわ、ホントに皆、俺のクローンみたいな奴ばっかだ。

 紺のスーツに、紺のネクタイ。七三に整えられた黒髪に、黒光りする革靴。無地のカッターシャツに、銀の腕時計。

 なんだ、よく見ると、山田も田中も鈴木も、皆、俺じゃん。さっき俺を叱責し罵倒し侮蔑した、あのクソ上司でさえ、俺じゃないか。皆、俺じゃないか。
 クソ上司の仰る通りだ、俺の代わりはいくらでもいる。

「すみません、課長の大便にも似た汚い顔を見ていたら、なにやら腹の調子が……。う、これはっ。痛い痛い。腹の中で盆踊りの太鼓が打ち鳴らされているようだ。申し訳ありませんが、今日は早退させていただきます」
 自分と同じ顔の上司にそう告げて、その日は、会社を早退した。

 自宅アパートに帰って部屋着に着替えていると、隣の部屋に住むニートが僕の部屋にやってきた。
「おかえり」とニートが言った。
 あたかも、この部屋の主が彼かのような自然さで。

 ニートとは引越しの挨拶に訪れた際、互いに簡単な自己紹介をし合ったはずなのだが、本名は忘れてしまった。
「職業はニートです」という彼の一言が当時の僕にとって衝撃的に過ぎ、名前などどうでもよくなったのかもしれない。
 当時の僕は新卒社会人一年目だった。ニートも風貌からして僕と同年代に見えた。

 今では、僕は彼のことを「ニイト」と、彼は僕のことを「シャチくん」とニックネームで呼び合う仲だ。
 「ニート」ではなく、健人(ケント)とか拓斗(タクト)とか魔裟斗(マサト)とかと同類の「ニイト」である。無理に漢字を当てるなら「新人」だろうか。
 また、僕の方は、もともと「社畜君」と呼ばれていたものが、いつ頃からか「シャチくん」になった。

 ニイトは、食料調達など生存に必要な最低限の外出を除いて基本的に引き篭もり続けている。
 僕が隣の彼の部屋を訪ねることはない。しかしニイトは、数日に一度のペースで、圧倒的な孤独感と人恋しさに襲われるらしく、僕の部屋のドアを急に開け、無言で入り込んでくる。あたかも自分の部屋かのように。

 びっくりするし普通に恐いので、鍵をかけて、ついでに居留守をつかったことがあるのだが、
「ドンドンドン。いるの分かってんのやぞォ、ワレエェェッ! 早よ開けんかいぃぃぃ!」
 と、玄関先で騒がれた。
 ドアを乱暴に叩く音と、その擬音と思われるニイトの「ドンドンドン!」という叫び声の重奏が近所迷惑甚だしいので仕方なく招き入れた。
 それからは面倒だから、就寝までは玄関のドアの鍵は開けている。ボロアパートの一室に突如押し入ってくる不審者はニイトだけだった。

 ニイトは僕の部屋に数日居座ると、「ホモ・サピエンス全員きらいだけど、お前がいちばん大っ嫌いだ」という決まり文句を残して、また、自分の部屋へと引き篭もる。
 これがパターンだ。

 ニイトと僕は別人だ、と思っていた。
 僕とニイトが代替可能なわけがない、と。
 だが違った。
 ニイトも、同僚や上司と同じく、やはり僕だった。服装やなんかは違うけれど、毎朝鏡で見る僕の顔そのものなのだ。
 なぜ今まで気付かなかったのだろう。

 試しに、嫌がるニイトを風呂に入らせ、頃合いを見計らって僕も浴室に入った。おいおい、シャチくん、なにしてんだよ、とニイトが言ったが、いいからヒゲ剃ってみ、と剃刀を渡した。僕が湯船に浸かっている間に、ニイトがヒゲを剃る。剃り終わると、僕は湯船を出て、ニイトの長く伸びた髪を切った。髪の毛を洗い流す。
 そうして、浴室の鏡の前に二人並んで立った。
 そこには当然、僕が二人、映っていた。

 風呂から上がると、僕の顔をして僕の服を着たニイトと、渇いた喉にビールを流し込んだ。
「君の代わりは、いくらでもいるんだ。ってよ。まあ、うすうす勘付いてましたけど」
「シャチくんは、いい奴だよ」
「だけど、僕の代わりがいくらでもいるのと一緒で、テメーの代わりもいくらでもいるだろっつうの」
「その上司は、クソだね」
「ニイトが上司で、クソ上司がニートでも、たいした影響ないと思うよホント」
「そうかもね」
「僕、もう明日、会社行きたくない」
「行かなかったらいいじゃん」
「じゃ、行かねー」
「俺も行かねー」
「元から行ってねー」
「だねー」

 次の日、ニイトが会社に行った。僕の会社に。僕の代わりとして。
 僕は一歩も外に出ず部屋に引き籠って、自分の存在意義について考えることにした。

 僕の、生物としての存在意義は明白だ。生殖をして、子孫を遺す。これ以外にはない。
 この点において、細胞分裂を繰り返し、自己増殖する単細胞生物と、僕との間に、なんら違いはない。
 種の保存と増殖のために、とりあえず僕は存在している。

 しかし、だ。
 進化という競争を効率的に勝ち抜くため、有性生殖という方法を獲得してしまった僕らは、細胞分裂によって増殖する生物たちが持ち得ない、個性すなわち人格というものを持ってしまった。一卵性双生児など一部の例外を除き、僕らは、生まれた時点で代替の利かない「個」だ。
 さらに厄介なことに、不必要に肥大化した脳が、「個としての存在意義」を勝手に考え始める。
 ホモ・サピエンスという「種」としての存在意義だけでは満足できず、他のホモ・サピエンスとは違う、唯一無二の「個」としての存在意義を、僕らは求め始める。

 僕という人間が丸ごと他の人間で代替可能ならば、僕という個は必要ではないのだ。

 あなたじゃないとダメなの。

 こう言われたなら、誰でも自分の存在意義を信じることができる。
 恋人に、妻に、子どもに、企業に、社会に、世界に、必要とされること。それこそが、確固たる個の存在意義だ。

 ここまで考えたところでカラスが寂しげに一声鳴き、窓の外ではとっぷりと日が暮れていた。
 そうして、ニイトが帰ってきた。僕の部屋に。
「おつかれ」
「うん、つかれた」
「どうだった?」
「上司がさ」ニイトが呟く。「君の代わりはいない、ってさ。俺のことベタ褒めすんの」
「そっか」
「うん」
「疲れたろ、寝ようぜ」
「うん」

 種の保存や自己の遺伝子を後世に残すことがとりあえずの存在意義だとしたら、ゲイやアセクシャル、病気で生殖機能を失った人なんかは、自分の存在意義をどこに求めているのだろう。
 よほど疲れていたのか、となりで眠るニイトの寝息がいつもより深い。
 窓からは、たった一つの黄色い月と、無数の星々が見えた。

 翌日、僕はいつものように出勤した。
 上司や同僚は、上司であり山田であり田中であり鈴木だった。
 僕ではなかった。
「昨日は失礼つかまつった。至らぬ点も多々あるかとは存ずるが、我にしかできぬ仕事を見つけていきたいと愚考する故、これからもご指導ご鞭撻の程、あい、よろしくお願い申し上げまする」
 と、僕はクソみたいな顔の上司に深々と頭を下げた。ホモ・サピエンスの顔って自分の顔を含めてつくづくクソみたいだよなと思った。

 その晩、「おかえり」と僕を出迎えたニートも、やはり僕ではなかった。ニイトだった。

 とりあえず僕も社会の小さな小さな歯車として社会をこっそり微妙に動かしているのかもしれない。
 存在意義に関する僕の探求は続く。

(※この記事は旧ブログからの移管記事です。2014年春up)

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