男一人で「木下大サーカス」を観に行ってきた。

現実世界に倦んでいた。日々の生活には、もう飽き飽きだった。
刺激が欲しかった。
大惨事でも起きないかしら、と不謹慎にも常々思っていた。
その当事者には絶対なりたくないが、身近な目撃者になりたかった。
そうだ、サーカスを観に行こう、と思った。
またもや電車の中吊り広告に触発されてしまった。
「木下大サーカス」の広告だった。
その広告を目にした次の瞬間、僕の脳裏には、ライオンに食われる調教師、空中ブランコのバーを握り損ねて地面に叩きつけられる軽業師、串刺しマジックに失敗して体中が穴だらけになるアシスタントの女、等々のイメージが浮かんでいた。
まあ、普通に考えて、僕の日常よりも、サーカスの舞台のほうが惨事を目撃できる可能性が高かった。
帰宅して、すぐにネットでチケットを購入した。
木下大サーカスは全国を定期的に巡回しているようで、次に大阪を訪れるのがいつになるか分からない。
大道芸に、動物芸に、マジック……。僕が「サーカス」に求めているすべてを一定の水準で提供してくれる団体は「木下大サーカス」しかないようにも思えた。
無味乾燥な日々は瞬く間に過ぎ去り、観覧当日がやってきた。
最寄り駅からそれなりに歩かされて、広い空き地に設営された大きなテントが見えてきた。
サーカスのテントの中は異世界だ。僕はやっと日常から脱出できる。
そして、舞台の幕が上がる。

目次
●「指定席」はベストな選択か?
ここで課金しなかったら、いつすんだよ。
惨事を目の前で見るため、追加料金を支払い、舞台に限りなく近い「指定席」を購入していた。
バチクソ近かった。
想像以上に近かった。
手を伸ばせば出演者と握手ができる距離だった。舞台の土ぼこりを吸い込めそうなほどだった。舞台の照明が僕の顔も明るく照らしていた。
惨事が起きたら、巻き添え喰らうんじゃね?
調教師が制御できなくなったライオンが観客を襲うかもしれんくね?
やばくね?
と、ふつうに思った。
しかし、まわりの客は平静に着席していた。惨事は絶対に起こらないと確信しているのか?
……まあいいか。仕方がない。課金した以上、安全な「自由席」に移動するつもりは毛頭ない。
オープニングアクトは、天井からぶら下がった長い布を使って行う空中演舞だった。
すんでのところで布は演者から離れない。握りしめた拳からスルリと布が逃げてしまい、演者が地面に叩きつけられるということはなかった。
というか、演者は拳で布を強く握りしめているだけではなかった。重力や遠心力をうまく利用し、足や首や体全体に布をひっかけ、地面への落下を防いでいた。
力のかけ方を少しでも誤ると、スルリと布は解けてしまっただろう。
まさに妙技。一発目から凄いものを見せつけられた。
まあ、それは、ええんやけどね。
首が疲れるんですわ。
ずっと上を向いてると。
会場(客席)は「すり鉢状」に設けられており、中心(舞台)に近くなるほど「すり鉢」の底に近づく。
空中ブランコや綱渡りなど天井近くで行われる演技は、首を90度近く上に曲げて、すり鉢の底から見上げる必要があった。
わりと疲れた。
大車輪など全体を見渡せる位置から観覧したほうが楽しめる演技もあり、必ずしも舞台に近い席が正解とは限らないと思った。
なにを優先するかは人によって違うだろうからすべての人にとっての「正解」はないのかもしれないが、僕がもう一度観覧するとしたら、真ん中あたりの席を選ぶと思う。前すぎる(舞台に近すぎる)指定席は選ばない。
●動物さんが凄い。特にゾウさんが凄い。
成人してから「サーカス」を観覧するのは、数年前の「シルク・ドゥ・ソレイユ」に続いて2回目だった。シルク~では「動物芸」がなかった。
だから、今回は「動物芸」への期待が高かった。
期待値を高くしていると(悪い方向に)裏切られることが多いが、おおむね期待どおりだった。
もちろん、ライオンは調教師を喰わなかったが。
「木下大サーカス」が「動物芸」に重きを置いていることは、動物愛護の慈善活動を積極的に行っていたり、公演終了後に動物たちとのフォトサービスを実施していることからも分かる。

「木下大サーカス」が他のサーカスとの差別化に「動物芸」を強く意識していることは間違いない。
動物たちは「ドル箱」のマスコットであるから、間違っても「動物虐待」などと言われないよう、「動物愛護」が殊更に強調されていた。

動物芸は、大きく3つだった。
①ポニー(10頭ほど)
集団芸だ。
ポニーは群れで生きる動物だから、1頭がある行動を採ると、他の個体もそれに倣う。
調教師がムチを使って「ポニー全体」を操っているように見えるが、実際は優秀ないくつかの個体を操っているだけだと思われる。
リーダー的存在のポニーが走れば、金魚のフン的存在のポニーも走る。リーダーが前足を高く上げれば、金魚のフンも前足を上げる。
金魚のフンにすらなれないポニーは、演技の途中で、しれっと退場させられていた。10頭近くいれば1頭くらいいなくなっても気づかれない。むしろ、「統率された行動」がこの芸の見どころなのに、勝手な行動にでる個体は邪魔なだけだ。
ほぼ最前席だったので、ポニーの馬面が僕の顔のすぐ近くに迫り、荒い鼻息が顔に当たった気さえした。
②ライオン(3頭)
猛獣ショー(ライオン)は、休憩をはさんだ後半の最初の演目だった。
前半のポニーと同じ舞台設営でライオンの演技も実施されたら、僕が惨事の当事者になる確率が爆上がりするところだった。
しかし、休憩の間に、舞台のまわりには強固な柵が築き上げられていた(ちなみに、この柵を設営・解体する作業もひとつのパフォーマンスのようだった)。
柵は天井付きで、絶対にライオンが舞台の外には出られないようになっていた。
そりゃそうかと安心する一方、自分が喰われるかもしれないというスリルがなくなり少し残念でもあった。
3頭のライオンと1人の中年男が、柵(実質的には巨大な檻)に閉じ込められる。
男がイギリスの著名な調教師である旨のアナウンスが流れ、ショーが始まる。
ライオンも集団行動を採る動物だが、ポニーとは違い、調教師は3頭それぞれに神経を注いでいるように見えた。
1頭のライオンに芸をさせている間(ムチや身振りで指示を与え、成功したら肉をやる)、他の2頭にもしっかり注意を向けていた。
油断したら、襲われるんだろう。喰われるんだろう。
残念ながらライオンは、やる気がないようだった。
調教師を襲う気もなければ、芸をやる気もない。
指定された台座の上に座る、バーを飛び越えるといった簡単な芸でさえ、3頭の内1頭は調教師の指示に従わなかった。
調教師は最後にはムチを放り投げ、やれやれというように両手を上げる始末だった。
まあ、すぐに襲える位置に獲物がいるのに、ライオンが調教師を襲わないというだけでも凄いと思うが。
演技の終盤には、調教師がライオンの1頭に抱きつき、腹をさすっていた。ライオンは最後まで調教師を襲うことはなかった。
③ゾウ
ゾウさんの調教師は別の人間だった。顔立ち的にタイ人かと思われた。
ゾウさんの演技の際には、柵が設けられなかった。暴れて観客を襲うことなど絶対にないと自負しているのか、巨体のゾウが暴れたらライオンの際に用いていた柵など一瞬で破壊されてしまうのか。
ゾウさんは2頭いた。
傍らにそれぞれ調教師を引き連れ、背中にはそれぞれ女性を1人乗せて登場した。
とにかく巨体ですから。
舞台をぐるっと一周するだけでも迫力がある。
背中に乗っている女性が観客に手を振る。彼女を視認することで、僕らはゾウさんの大きさを再確認する。
振り落とされたら重傷必至だろうな。
もちろん、そんなことはなく、ゾウさんは前足を折り曲げ、優しく女性を地面に降ろす。
そして、ゾウさんの単独演技が始まる。
前足を高く掲げ、後の2本だけでバランスをとる。
4本の足がぎりぎり乗るくらいの、(ゾウさんにしてみれば)小さな台座が用意される。
調教師の指示にスムーズに従い、その台座にゾウさんが乗る。少しでもはみ出れば、バランスを崩し、ゾウさんは倒れてしまうだろう。
しかし、ゾウさんは決してそんなミスを犯さない。
その台座の上で、「2本立ち」をしたり、「お座り」をしたりする。
この巨体が人間の指示にスムーズに従うというのが驚きだった。
暴れるなどもってのほか、ライオンのようにサボタージュすることもない。
淡々と演技を披露していった。
もちろんタイの調教師の功績も大きいのだろうが、舞台を見ている限りでは、「象は、なんて温和で知的な動物なんだ。ゾウさん、凄い」という感慨しか持ち得ないのだった。
●マジックが凄い。初めて生(ナマ)で見たわ。
「動物芸」と並んで、「マジック」も楽しみにしていた。
マジック(イリュージョン)は時々テレビで放映されているが、生(ナマ)で見たことがなかった(たぶん)。
テレビだと映したくない部分は映さないこともできるわけで、その可能性が僕の興を削いでいた。
生ならば、しかも舞台目前の指定席ならば、奇術師が僕を欺くのは困難だと思われた。
もちろん、そんなことはなかった。
奇術師は、僕のめちゃくちゃ近くで演技を行った上で、簡単に僕を欺いた。
まったくもってマジックの種が分からない。
他の観客と同様、「おー。わー。すげー。なんでー?」と、馬鹿っぽい感想が口から漏れるだけだった。
マジック自体は女性アシスタントを使ったポピュラーなものだった。
入れ替わり、瞬間移動、串刺し、箱に女性を入れた上でその箱を切断していく……等々だ。
絶対なにか「タネ」か「仕掛け」があるのは間違いないのだが、それを微塵も推察できなかったので、普通におもしろかったと言えるだろう。
●バイクが凄い。球体の中で高速交差とか自殺願望でもあんのかよ。
「動物芸」と「マジック」以外に関しては、結局のところ、「シルク・ド・ソレイユ」とさほど変わらない「肉体芸」だろうと思っていた。
大方その通りだったのだが、圧倒的に異色な演技があった。
「世紀のオートバイショー」だ。
金属で作られた巨大な網状のボールが舞台に現れる。直径は10mくらいだろうか。
その中に、オートバイに乗った2~3人の男。
1つのバイクがエンジンを吹かし、急発進すると、男を乗せたバイクは球体の内面をグルグルと走り回る。まさに縦横無尽に走り回る。天井も側面もない。球体の内面は、すべてが地面だ。
スピードを緩めると、遠心力を重力が上回り、バイクは簡単に「地面」から離れ、落下してしまう。だから、常にエンジンはフルスロットルだ。
もの凄いスピードでバイクは球体の内面を走る。けたたましいエンジン音が会場に響く。
1つのバイクがそれを行うだけでも凄いのに、2台目のバイクが走り出す。
球体の内面を2台のバイクが猛スピードでグルグル回る。
考えられない。
どちらかが少しでもタイミングを誤れば、2台のバイクはうまく交差できず、激突する。
考えられない。
さきほど述べたように球体の内面を走り続けようとすれば一定のスピードを出すことは必要なのだが、タイミングよく片方のバイクと交差しようとすれば、スピードを出しすぎてもいけない。一定の速度の維持が必要だ。
速度表示があるとは言え、よほど訓練を積まないとできない芸当だと思う。
体操競技の延長線上にあるような人間の「肉体芸」とは一味違った、「バイク」という機械を使いつつも、それを高度なレベルで操れる「人間の技」を見せつけられた。
出色だ。
●肉体芸のショー化。
「空中ブランコ」をはじめとする肉体芸は、結局のところ体操競技の延長線上にあると思われる。
フィギュアスケートの競技選手が引退後プロに転向し、アイスショーに出演するようなものだ。
体操競技上の難易度と、ショー(見せもの)としての華やかさは、必ずしも比例しない。
とは言え、華やかさを演出するための別種の難しさも確実に存在するだろうと思われた。
見ごたえはあった。
また、ジャグリングなどの個人技は、失敗しても、観客の許しさえ得られれば再度挑戦することが可能だが、「空中ブランコ」や「回転大車輪」などほぼすべての演目は、複数の演者で行われる。
ひとりのミスが、チーム全体の失敗として扱われる。
観客の評価とは別に、チームメンバーからの評価もあるに違いない。
んー、僕だったらとてもできないな。自分の失敗がチーム全体の責任になるというプレッシャーに耐えられない。
木下大サーカスの演者は、その点でも尊敬する。互いが強い信頼で結びついていないと、あのような演技はとてもできないだろう。
ただ、命綱や落下防止のネットが用意されている点で、当初僕がサーカスに求めていた「スリル感」は減少されてしまうので、そこは残念だった。
世界的に人権意識が高まっている中、サーカスの出演者に対する安全対策を興行のためにおろそかにはできないのだろう。ちぇっ。
全体の評価としては、十分に楽しめる舞台だった。満足した。
開演前に購入していたポップコーンを、ほぼ食わないまま終わった。それほどまでに見入っていた、目が離せなかったということだろう。

