【サボテン日記】サボテンを買ってきた。
サボテンを買ってきた。
一年くらい前から買おうと思っていて、やっと買った。
ジェシーと名付けた。
愛着が湧いたので植物に名前を付けたのだ。メキシコっぽい名前だと思っている。サボテンといえばメキシコだとも漠然と思っている。
ジェシーはアメリカで生まれた。親はメキシコからの不法移民だ。農作物を積んだトラックの荷台に混じっていたところ、輸送中に転がり落ち、アメリカの道路の道端に自生した。近くの植物園芸品店の店主に引っこ抜かれ、親株として多くの子孫を残した。その中の一人がジェシーだ。親はメキシコからアメリカへと移ったが、ジェシーはアメリカから遥々太平洋を渡って日本へ来た。
という物語すら考えてしまった。
それはともかく、子どもを育てているパパママがよく言っていそうな台詞に次のようなものがある。
「ホント大変なこともあったんですけど、子育てを通じて、自分自身も成長できたような気がするんです」
別に子育てでなくとも新たな経験を積んだなら誰でも少しは成長するもんだろうとチラッと思わないでもなかったが、確かに彼らの「子育ては自分育て」説にも一理あろう。
そこで僕も、育てよう、と思った。
しかし残念ながら、僕には子どもがいなかった。かと言って、子育てをしたいがためだけに子どもを作るのは少し違う気がする(いや、明らかに違う。つうか、それ以前に子どもは一人で作れなかった)。
人間が育てられないなら、動物か。犬とか。猫とか。ハムスターとか。九官鳥とか。オオサンショウオとか。カピパラとか。
そう思ったのだが、自分の親が年老いて介護が必要になった時でさえ絶対施設にぶち込んでやろうと常々考えているのに、どこの馬の骨だかも分からない赤の他人(いや、赤の他動物)の世話などできるものか。下等な動物共のシモの世話など死んでも御免だ。テメェらのエサ代に費やす金があったなら、いつも買っている外国産の牛肉を国産和牛の高級肉にグレードアップするわ。と、ペット愛好家から半殺しにされそうな見当違いの怒りを覚え、動物を育てるのも断念した。
ならば、ということで考えたのが、植物である。
実家の母もペットを飼うのは嫌いだったが、植物を育てるのは好きだった。毎日、植物に水をやっていた。それを思い出して、めんどくさいと思った。エサは水道水だけでいいのだから動物のようにエサ代に怒りを覚えることもないが、「毎日」というのが非常に極めて、まったくもって面倒だ。
あぁ、自分の世話すら満足にできない堕落した人間である僕に何かを育てることなど無理なのか。
一瞬そんな弱気な考えが脳裏をかすめた。
しかし、そこに救世主が現れたのである。
サボテン。
The・サボテンである。
ネットの情報によれば、「サボテンの水やりは一週間に一度程度で十分です。普通の植物は毎日水をやらなければ枯れてしまいますが、サボテンは逆に毎日水をやると枯れてしまいます」とのことだった。
素晴らしい。
なんという手間のかからない良い子なんだ。
サボテンを育ててみようかな、と僕は思った。
身体中に棘を生やし、他者からの過剰な接触をキッパリと拒絶している点も、ぼっち気質の僕と相性がいい気がする。
絶対にサボテンを育てよう、と僕は思った。
これが今回、サボテンを買ってきた経緯である。
ジェシーの命は僕の手に委ねられた。
ジェシーと一緒に買ってきた観葉植物は一週間も持たずに枯らしてしまった。が、サボテンのジェシーは一日も長く育てていきたいと思う。
ジェシーの様子は随時、ブログでも報告していく予定である。
(※この記事は旧ブログからの移管記事です。2014年夏up)