【阪神間ぶらり】「阪急春日野道駅」編――海の見える銭湯と無人の映画館。

引越しを検討している。
転居先は「阪神間」を考えている。具体的にどの街に住むかは、まったくの白紙。
別に急いではいないので、これから1~2年ほど、「阪神間」のさまざまな街を下見がてら「ぶらり散歩」しようと思っている。
阪神間は、大阪と神戸の間に広がる地域をさす。東西に延びる路線が「阪急・JR・阪神」と3つあり、交通の便に優れていると言われている(阪急がもっとも北側・山側を走っており、阪神がもっとも南側・海側を走っている)。
とは言え、地元民(例えば尼崎市民)にとっては周知の事実だが、3路線をタテにつなぐ路線はなく、必ずしも3つの路線をフレキシブルに活用できる地域ばかりではない。
3つの路線間を徒歩でも容易に移動できる街となると、極めて限定されてしまう。大阪(梅田)と三ノ宮(神戸三宮)は当然3路線が利用可能だが、その周辺は家賃相場がめっぽう高い。
大阪と神戸の両極に、できるだけ近い駅が望ましい。3路線の間隔がさほど開いておらず(どの路線も利用しやすく)、梅田や三宮に比べれば相対的に家賃も安いからだ。
というわけで、初回は、阪急神戸三宮駅の1つとなりの「阪急春日野道駅」周辺をぶらつくことにした。
別にJR塚本駅や阪神福島駅とかでもよかったのだが、僕が居住地として求めているロケーションはそういうところではないし、新天地に移るという「異国情緒」感が著しく欠ける。
また、仕事関係の知人で阪急春日野道駅周辺に住んでいる人がおり、話を聞く限り、どうやらとても住みやすそうなのだ。
というか、ぶっちゃけ、引越し先の第1候補なのだ。
目次
●阪急春日野道駅――関西でもっとも危ない駅ホーム。

「春日野道駅」は、阪急と阪神の2つがある。隣接はしていないので、ある程度徒歩で移動する必要がある。それでも、約10分だ(GoogleMaps)。阪急の南側に住めば、2路線が容易に使える。
また、JR三ノ宮駅や新神戸駅も徒歩圏内と言えなくもない(それぞれ、24分と19分)。チャリを使えば、余裕で利用圏内だ(10分以内)。
今回、阪神ではなく阪急を利用したのは、ホームの幅が非常に狭く(2mほど?)、「日本で一番危険なホーム」と呼ばれていたらしいからだ。聞くところによれば、昔は転落事故が多く発生していたという。
ちょっと見てみたかった。
特急(快速)は停まらないので、大阪梅田から普通電車に乗って、のんびりと春日野道駅を目指した。途中駅のどこかで乗り換えれば早く着くことは知っていたが、ぶらり散歩なので急ぐことはないと思った。
そこそこ時間がかかった。今、ネットで調べると「大阪梅田 ― 春日野道」は42分かかるらしい(乗換なし)。「大阪梅田 ― 神戸三宮」が27分らしいので、特急の停車駅でないというだけで15分以上もの差がでることになる。
春日野道のほうが大阪寄りなのだから、三宮より早く着くだろう――そんな勘違いをしていると、とんでもないことになる。
意外に梅田から時間がかかることが分かり、すこし落胆する。
駅に到着した。
知人から、すでにホームドアが設置されたことは聞いていた。
しかし、やはり狭い。
すごく、狭い。
ベンチは設置されていないし、人が次々に後ろに並んで電車を待つというおなじみの光景も見られない。
おもしろい。

●春日野道商店街――レストランで昼飯を食う。
駅(東口)を出ると、目の前に「春日野道商店街」があった。
アーケード付きの商店街だから、雨が降ろうが雪が降ろうが、通勤や買い物で困ることはないと、知人が自慢していた。知人も僕と同じくペーパードライバーである。
このアーケード商店街は、阪急と阪神の2つの駅をむすんでいる。商店街に沿って南下すれば、阪神春日野道駅に辿り着く。さらに進めば、海に突き当たるはずだった。

今回の「ぶらり散歩」の主たる目的は「湯治」と「映画鑑賞」だったが、その前に、この商店街で昼飯を食うことにした。
絶対にチェーン店は利用しないと決めていた。
せっかく「近くて遠い知らない街」に来たのに、どこにでもあるチェーン店に入ってしまっては興を削がれる。
神戸と言えば、南京町のイメージから中華料理、神戸牛のイメージから鉄板焼き、港町のイメージから洒落たカフェやパティスリーなどを連想しがちなので、あえてそういう店は候補から外した。個人経営の庶民的なレストランが望ましかった。
実は、たらたら走る鈍行列車に揺られながら、スマホを使って「春日野道駅 ランチ」とネット検索をかけていた。
上位に表示された中で「蔓桔梗」という店が、そのときの僕の気分に合いそうだった。
一応、商店街の半ばまで歩いて、他によさそうな店がないかを確認したが、やはり中華料理店やラーメン屋ばかりが目について、入りたいと思える店はなかった。
商店街の阪急寄りの入口付近にある「蔓桔梗」まで、わざわざ引き返した。
道に面してガラス窓がなく、中の様子が伺えなかった。看板は大きく掲げられていたが、事前にネットなどで調べていないと、なかなか入りずらい雰囲気だった。
意を決して入店した。
カウンター席のみの、こじんまりとした店だった。客席も10席程度だろうか。
しかし、決して寂れてはいなかった。
先客は中年男性が2名。
内装は木目調の落ち着いた雰囲気で、静かにクラシック音楽が流れたりしていて、高級感さえ漂う。
カウンターの中の厨房から、すぐに初老のコックによる声掛けがあがる。「いらっしゃい、どうぞお好きな席へ」。彼が1人で、調理も接客も担っているらしい。
席に座ると、すぐに水とおしぼりが提供される。「なににしましょう」。
いい感じだった。
店の雰囲気や接客態度は、「個人経営の庶民派レストラン」に僕が求めていたものそのものだった。
冬季限定の「カキフライ定食」にした。カキフライが好きなので。
初老のコックは、厨房の中で無駄なく俊敏に動いていた。
フランパンをゆすって調理をし、食い終わった客の勘定をし、皿を下げて洗い、新たに入ってきた客から注文をとった。
マルチタスクが苦手な僕にはとてもできない芸当で、やはり飲食店で働くひとはすごいなあと改めて感心した。
カキフライ定食が提供された。

ちゃんとレモンが付いていた。また、タルタルソースは別皿だった。完璧だ。
まずは、なにも点けずに、カキフライをぱくり。
ふつうに、うまかった。
衣はサクッとしているし、カキや揚げ油にも変な風味が混じっていない。カキ独特の、あの風味だけが口の中に広がる。冬の海だ。
レモンとタルタルで味変をして食べたら、一瞬でカキフライがなくなった。
サラダはパスタと、白米はスープと漬け物で食った。
満足した。
●なぎさ公園――海岸沿いの公園。
店を出て、さらに南下すると、商店街は途切れ、阪神春日野道駅があり、そして、大きな道路にぶちあたった。
近くに信号がない。遠くに歩道橋が見えた。方角的に逆のような気がしたが、とりあえず道路を渡らないと目的地に着かないので、歩道橋を渡ることにした。

どうやら、遊歩道としても整備された歩道橋であるらしかった。
なにかしらの並木が、冬枯れのすがたを晒していた。
春や秋には、桜や紅葉がきれいなのかもしれない。夏には緑が眩しいのだろう。
ドン・キホーテなどの商業ビルや高層マンションが乱立する中で、高架上に設けられた並木道は住人の憩いになっていると思われた。
歩道橋を渡り、さらに南に進むと、「なぎさ公園」という散策スポットに着く。
湯治と映画鑑賞の前に、神戸の海を見ながら、海岸沿いを軽く散策することにした。

地元の中学生グループが、男女入り混じって遊んでいた。それ以外には、ぱらぱらとランニング中の人が通り過ぎるだけで閑散としていた。メリケンパークやハーバーランドとは大違いだ。
海風は冷たかった。僕は身を震わせたが、これは計画通り。この後の温泉がいっそう心地よく感じられるに違いない。

それにしても、やはり、海はいい。
海上に高層建築物は建てがたいのだから、本当に視界を遮るものがほとんどない。
必ず水平線が視界の一部に入りこみ、そしてそれは、その向こうにもまだまだ世界が広がっていることを感じさせてくれる。
解放感がある。
やはり、「海の見える街」に引っ越すという気まぐれなアイデアは、なかなかに魅力的だ。高確率で数年以内に実行に移すだろう。
なぎさ公園には、よく分からないモニュメントが多数設置されていた。

以前、神戸芸術祭で海岸沿いのいたるところに設置された造形美術を巡る散策をしたことがあるが、芸術祭が開かれていなくとも、神戸にはよく分からないモニュメントが多い。
当然、そのモニュメントがそこに設置されているなにかしらの意味があるのだろうが、解説文を読んでまで理解しようという気にはならない。
なにかよく分からないモニュメントが、ただ、そこにある。
●なぎさの湯――海の見える露天風呂。
年初に僕は、人生で初めてのギックリ腰になっていた。数日で日常生活に支障がないレベルまで回復したのだが、腰に若干の違和感を抱えたままだった。腰が重いというか。
温泉に浸かって、湯治をしようと決めていた。
なぎさ公園に隣接して、「なぎさの湯」というスーパー銭湯があった。
数百円で海を見ながら湯船に浸かれるなんて、考えるだけで非常に贅沢だ。

館内はレストランが休業中だったが、それ以外に関しては、おおむね期待通りだった。
男湯には、屋内浴場、露天風呂、サウナが設置されていた。
ここでも、やはり人は少なく、老人が数人徘徊しているだけだった。
屋内浴場は軽く素通りし、露天に出た。
奥の方に行くと、岩壁に開けられた覗き窓から海が見えた。
海岸の雑多な街並みも見え、視界全面オーシャンビューという感じではなかったが、まったくもって許容範囲だった。
露天風呂の一部は「準温泉」らしく、赤茶色に濁っていた。有馬温泉と同じ泉質だろうか。
複数人が熱い湯船に浸かっていても、露天だから空気はこもらず、冷たい風がすぐさま空気を清めてくれる。
頭上には昼間の青空が広がっており、白日の下に下半身を露出する。
サウナに入って、冷水をかぶり、露天スペースに数多く設置されている椅子で外気浴を行う。
下半身にも日光浴をさせる。
ジャグジーも露天に設けられており、入念に腰にバブルをあてた。
最高だった。
精神的にもリラックスでき、完璧な湯治となった。
気持ち良すぎて長湯となったので、身体のほてりを冷ますため、畳敷きの休憩室で休むことにした。
男湯のロッカーにある自販機でスポーツドリンクを購入してしまったばかりで、この施設の目玉の1つである「みかん丸ごと絞りジュース」をエントランスの自販機で購入することができなかった。近日中に再訪することもあるだろうから、そのときは忘れずに購入したい。
休憩室には数は少ないながらも漫画本が置いてあり、『王様ランキング』を読んだ。1巻しか読んでいないが、中年負け組男の心を揺さぶる内容で、次回来たときは続きを読もうと思った。
●109シネマズHAT神戸――人が少ない穴場の映画館。
なぎさの湯を後にして、阪急春日野道駅へと戻る。北上する。
その途中に「ブルメールHAT神戸」という商業施設がある。その中に映画館があることを事前に調べていた。

ブルメールHAT神戸は、一般的なショッピングモールという感じで、春日野道に住めば買い物にはまったく不自由しないだろうと改めて思った。
商店街も含めてこれだけ商業施設が乱立していても、それぞれ事業が継続しているということは、それほどの客がいるということなのだろう。
確かに、それなりに客はいた。
映画館は2Fにあった。
映画館のロビーには、人が数えるほどしかいなかった。もぎりや売店スタッフが10人ほど、客は5人もいなかったのではないだろうか。一瞬、営業開始前なのかと思ってしまった。
上映スケジュールでは午前中からずっとなにかしらの映画を上映していたはずなので、単純に客が少ないだけだった。施設の中で映画館だけが閑散としていた。
人が少ない理由は不明だが、静かに映画を見たい人にとっては、絶好の穴場と言える。
絶対に見たいという作品はなかったが、「ぶらり散歩」の1要素として「映画鑑賞」は入れておきたかった。
事前の調べで、上映中の作品の中では『哀れなるものたち』というR18作品が一番おもしろそうだった。チケットを購入する。
ベネチア国際映画祭金獅子賞、アカデミー賞作品賞を受賞。
あらすじは、「入水自殺を図り脳死した妊婦が、腹の中の胎児の脳を移植され、新たな人生を始める」というもの。
どう考えても、おもしろいはずだった。
期待値が高すぎたかもしれない。
※※※下記、ネタバレあり※※※
「身体は大人、頭脳は子供」という「逆コナン状態」を主演女優が、不自然な歩き方や喃語(吹き替えだったが)などによって表現していた。
物語の序盤、彼女は明らかに「無垢」の象徴として描かれる。世界に対しての「善悪」や「常識」を一切持ち合わせていない白紙の状態だ。
しかし、身体は成人女性のそれである。
あるとき、自分の性器をいじると快楽を得られることに偶然気付き、それを好んで行うようになる。ある日の夕食の席で、性器にきゅうりを挿入しようとし、驚愕して静止しようとしたメイドに「どうして? こんなに気持ちいいのにあなたはしないの? あなたのほうがヘンよ」と言い放つ(ニュアンス)。
彼女の(成人女性としての)身体に魅かれた資産家の色男と、駆け落ちし、世界を巡る旅に出る。彼女を蘇生させたマッドサイエンティストは古びた館に置き去りにされる。
彼女の知的あるいは精神的成長は急激で、その短期間のうちに、世界の美醜や善悪を初めて目の当たりにし、彼女は深く懊悩する。しかし、彼女は強かに、自分が正しいと思う道を突き進む。その過程で、売春を行い、殺人も犯す。それが彼女にとって正しいことだったからだ。
ある意味での「父(神=ゴッド)」であるマッドサイエンティストが臨終の間際にあるという報せを受け、彼女は旅から帰還する。そこに現れたのは、入水自殺の原因となった夫。脳を入れ替える前の記憶がない彼女がとった行動とは……。
※※※以上、ネタバレあり※※※
映像表現は、序盤は白黒で、駆け落ち旅行に旅立つ時点でフルカラーとなり、彼女の世界に新鮮な色彩(美しいものも醜いものも)が与えられたことを意味する。
また、写実的というより存分に絵画的な場面が多く、現実世界を捨象した幻想的な画面構成となっていた。それによって、僕らの世界に存在する「美醜」「善悪」がビビットに表現されていたと思う。
しかし、R18の洋画にありがちなのだが、性表現や暴力表現に頼り過ぎだった。俳優の性器がモザイクもなしに映され、性行為の場面では弦楽器が極めて速いテンポで不協和音を刻む背景音楽が流れ、観客の心情をこれでもかと煽る。しかも、全編を通じて同じ手法が何度も繰り返され、「またか」と思わざるを得なかった。
まったくもって抑制が効いておらず、余白がなく、表現の変化もなく、結果、全体として「凡庸」と感じざるを得ない。
期待値が高かっただけに「大満足」とは言い難かったが、春日野道に住めば徒歩圏内にシネコンがあるという確認ができたことは収穫だった。
ブルメールHAT神戸を出ると、外は暗くなっていた。ドン・キホーテの装飾がいっそう明るく輝く。
春日野道商店街では、いくつもの飲み屋が営業を始めており、アーケードの往来には酔客の姿も目立つ。
阪急春日野道駅で電車に乗り、「海の見えない街」にある僕の家に帰る。

