造幣局の「桜の通り抜け」に男一人で行ってきた。【花見2015】

春だ。桜だ。
大阪造幣局の「桜の通り抜け」に行ってきた。
四月上旬は雨天続きも、当日の水都大阪は快晴なり。

寒さは和らぎ、陽光眩しく、春風が枝葉を揺らしてゆく。

桜とビル。都会の春なり。

桜。

桜。

桜!

僕はこれから何度、桜を見られるであろうか。
来年の春には死んでいるやもしれぬ。直截に言えば、自死を遂げているやも知れぬ。
そのような思いがふと脳裏をよぎる。
が、一方で僕は、それが単なる杞憂に過ぎぬことを十分に心得ている。
充実した人生を歩めぬ哀れ者こそ、得てして長生きするものだ。
桜を見よ。
桜の命は短い。
春、瞬間的に咲誇り、見頃を過ぎれば散っていく。
潔く。
たとえ短くとも春を謳歌した者は、人生に未練など残さぬ。
満足げに微笑んで、死んでゆく。
逆に、僕のようなエセ自殺志願者ほど、却ってしぶとく生き続ける。
惜しいからである。
人生の春を味合わぬまま死ぬのは、余りにも、余りにも口惜しい、からである。
こうして、これが最期の花見だという思いとは裏腹に、僕は来年も再び桜を見るであろう。
人生の春は、いったい、いつ、訪れるのか!
なに? 次の歌詞を思い出せだ?
「幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね ♪」
OK、分かった。
僕の方から春を迎えに行こう。それは一向に構わない。少しも難儀なことではない。
しかし、教えてくれ。
どちらに進めば、本当の春が待っている?
春はどこにある?
僕はどこに行けばいい?
教えろ! クソッタレが!


