「桜の通り抜け」に7年ぶりに行ってきた。【花見2022】

めっちゃ暑かった。
その日は4月中旬だというのに夏日を記録していた。
7年ぶりに大阪造幣局の「桜の通り抜け」に行ってきたわけだが、その間に地球温暖化は着実に進行していた。
多くの桜も早々に散り始め、葉桜が目立った。
春というより、すでに初夏。

花の色が薄緑色という品種らしい。
そして、人々はみな、マスクを着けていた。
マスク着用が外出する際の最低限のマナーとなって久しい。マスクを着けない者は、逮捕されることはないものの、周囲から白い目で見られる。
7年前には想像もできなかった光景だろう。人々が例外なくマスクを着けて歩いている光景は、SF映画の一場面のようでもある。

時代は移り変わっている。
一方で、僕はなにも変わっていない。
少なくとも、ポジティブな方向には変化していない。
歳を重ねただけだ。
それは死ぬまでに幸福を掴むチャンスがさらに減ったということであって、まったくもってネガティブな変化だ。
このまま地球温暖化が進めば、日本から「四季」が消滅するという。
春と秋がなくなって、「二季」になるとか。
厳しい冬の寒さを耐え忍んでも、次にやってくるのは夏の猛暑。
そんな時代が訪れるのも、さほど遠い未来の話ではないとか。
春はやってこないのだ。
その時代の人々は、極寒と酷暑にあえぐだけあえいで死んでいく。
春はやってこないのだ。
僕のような古い人間は、「春の訪れ」は万人が等しく享受できる普遍的事実だと漠然と信じているが、考えてみれば、それは自明の理ではない。
春はやってこないのだ。
やってこないまま、すべてが終わることも十分にあり得るのだ。
なるほどな。



