【雑記】そういえば正月帰省で格差社会を実感したわ。

 僕には、上に兄弟が二人いる。二人とも既婚で子持ちだ。
 一方、僕は未婚の単身者だ。彼女どころか友人すらいない。
 兄弟の世帯収入は、二家族とも共働きということもあって、年に1,000万円を軽く超えているそうだ。義理の兄弟を含めた四人はいずれも、いわゆる大企業のサラリーマンや専門職(士業)に従事している。
 一方、僕は、その三分の一に満たない年収で、零細中小企業で飼い殺しにされている。
 兄たちは一般論で言うならば勝ち組だろう。
 一方、僕は誰がなんと言おうと文句の付けようのない完璧な負け犬だ。

 どうしてこうなった……。

 正月や盆で実家に帰省し、兄たちと顔を合わす度、そう強く思わざるを得ない。自己否定の感情に苛まれる。
 甥や姪は可愛いし、兄たちに対しても家族として当然の親しみの情を感じてはいる。しかし、それだけでは済ませられない、複雑な感情が胸に去来する。
 
 両親が僕ら三兄弟に投じた教育費は概ね平等なものだった。実際、僕ら三人の学歴に大した違いはない。それぞれ新卒時の就職活動も何とかうまく乗り越え、学歴に見合った企業や法人に就職した。
 しかし、その後、僕と彼らの道は大きく異なることとなる。僕は新卒で入社した企業を数年で辞める。一方、彼らは今も同じ会社で働き続けている。
 会社を辞めた僕は、ニートやフリーターの時期を長く過ごす。一方、彼らは同じ会社で確実にキャリアを積み重ねる。
 僕は、もう一度、真っ当なレールの上に戻ろうと思う。が、時すでに遅し。兄たちと同じレールの上に戻ろうとするならば、猛スピードで激走する列車に生身の状態で飛び乗ることができるくらいの超人的能力が必要とされた。つまり、ほぼ不可能事だった。
 それでもどうにかして列車に飛び乗ろうと、しぶとく試みを続ける人も周りにはいた。だが、そういった人々は、結局、列車に手足を引き千切られ、頭蓋骨を粉砕され、血と脳漿を飛び散らせて、死んでいった。僕は足元に転がってきた目玉を拾い上げて、列車に飛び乗ることを諦めた。
 列車には、「学歴」や「新卒」といった特別な切符を持った者だけが、特別な停車駅のホームから乗ることができた。兄たちを始め、決して列車を途中下車しない者たちは、その切符の希少性を十分に心得ていた。それが二度と手に入らないものであることを知っていた。
 僕は、その特別な列車をタクシーと同じようなものだと勘違いしていた。少し片手を上げるだけで、僕の為に停車してくれるようなものだと、愚かにも考えていたのだ。

 列車から降りた僕は、確かに自由ではあった。道は決まっておらず、選択肢は無限に存在するようにさえ感じられた。顔を見るだけで吐き気を催すほど気の合わない連中と、同じ車内(社内)に閉じ込められることもない。孤独ではあるが、誰におもねる必要もなかった。
 しかし、僕は気付くべきだった。列車の周りは一面、荒涼とした砂漠だったということに。所々に点在するオアシスに、僕は徒歩で辿り着かねばならず、辿り着いたとしても、そこに残っているのは、列車で先着した勝ち組共が食い散らかした腐りかけの食料や、濁った水が少しだけだった。実に乏しかった。
 勝ち組共が急いでいたのは――必死で列車にしがみついていたのは、その列車が快適だから(というだけ)ではなく、限られた食料を少しでも多く自らの内腑に収めるためだった。

 列車を降りたときの僕はまだ、十分に若かった。脚力も十二分にあった。少し額に汗をかきはするものの、オアシスに歩いて辿り着くことは、さしたる苦行ではなかった。しかし、歳を重ねるごとに、食料の乏しさも相まって、僕の足は細っていった。砂漠の大地を踏みしめて、前に一歩を踏み出すための脚力は、急激に衰えていった。
 ある日、僕は砂漠に倒れこむ。もう歩けない。
 ちょうどその時、悪人が御者を勤める馬車が通りかかる。
「どうしたんだい、君? 歩けないのかい? それはいけない。さあさあ、俺の馬車に乗るといい。中で横になって、ゆっくり休むといい」と御者は言う。
 馬車に担ぎ上げられる際、御者の身体から強烈な煙草の臭いが漂ってきた。紫煙が、僕の鼻の穴を通って、脳に到達する。脳が煙に包まれる。クラクラが一層激しくなり、僕は気絶する。
 目覚めたら、大分体力が回復している。御者が僕に食料を差し出す。石のように固いパンと、黴の生えたチーズ。断食が続いていた僕にとっては、それでも十分な施しだ。ありがとうございます、と力なく僕は微笑む。
「いいんだ、君は今、休むときだ。馬車は馬共が牽いてくれるさ。君は今、休むときだ――今はね」と御者が言う。
 数日後に僕の体力は元に戻る。若い頃のように身体中に力が漲るとまでは言わないが、またオアシスに向けて歩き出すことはできるだろう。僕は御者に礼を言って、馬車を降りようとする。しかし、御者はにんまり笑って言う。
「降りるがいいさ。それは構わん。でもね、その前に、これまで俺がお前に与えた食料を返してはくれないか? こちらも慈善事業じゃないんでね」
 そう言われても、僕はパン屑さえ持っていない。次のオアシスに辿り着くまで待ってくれませんか。僕は御者に訊いてみる。
「ふざけんじゃねえっ!」
 御者の態度が一変し、鞭を握り締めた彼の右手が高く振り上げられる。次の瞬間、鋭い音が馬車の中に鳴り響く。何度も夢うつつで聞いていた音。御者が馬を打つ音だ。激しい痛みが僕を襲う。僕は今、御者に鞭で打たれたのだ。まるで馬のように。驚きと恐怖で声が出ない。
「何様のつもりだ! この野郎っ! どうせ、てめぇも、あの列車から落ちてきた、モヤシ野郎の一人だろう! 頭ばかりでかくて、他人の施しがなけりゃ、自分の足でオアシスに辿り着くこともできないカマ野郎が!」御者が声を張り上げる度に、鞭が何度も僕の身体を打つ。
 僕は一体何が起こっているのか理解できない。
 すいません、すいません、許してください、お返しします、食料はお返ししますから、もう止めてください、止めてください。鞭で打たれながらも、僕は必死で懇願する。唐突に鞭の嵐が治まる。
「ハッ、笑わせんじゃねえや、どうやって、食料を、返すってんだよ」肩で激しく息をしながら、御者がせせら笑う。僕は口ごもるしかない。沈黙が続く。おもむろに御者が口を開く。
「まあいいさ、お前はこれから、食った分だけ、俺のために、働くんだ。いいな?」
 僕は頷くしかない。
「よし、素直な〈馬〉だ。他の〈馬〉共の中には身の程もわきまえず、俺に食ってかかる野郎もいるからな」
 そうして僕は、馬車を引きずり降ろされる。そして、僕が彼のために「何をしなければならないのか」を目撃する。馬車を降りると、それは一目瞭然だった。
 彼の馬車には、馬の代わりに、人間の男が繋がれていた。
 男は三人いて、年齢はみな二十代後半から三十代前半のように見えた。彼らは、擦り切れた麻のズボンを履いているのみで、上半身は裸だった。靴もない。烈しい太陽光線に黒く焼かれた肌の中で、鞭で打たれた痕らしき無数の小さな傷やミミズ腫れだけが鮮やかな赤色を保っていた。そして、一様に痩せていた。
 彼らは、死んだ魚のような虚ろな目をして、無表情に僕と御者を見ていた。
 御者に拾い上げられた時の僕は、半ば意識を失いかけていて、馬車を牽いているのが馬ではなく人間だとは気付きもしなかった。
「どうだ?」と御者が言った。唇の端が厭らしくめくりあがり、ヤニに染まった黄色い歯が唇の隙間から覗いていた。「分かったか? これがお前の新しい〈仕事〉だよ」
 僕は驚きで声も出ない。
「さあ、さっそく手綱を付けてやる。服を脱げ」
 僕は逃げ出す。御者に向かってくるりと背を向け、一目散に走り出す。しかし、すぐに捕まる。走るほどの体力はまだ回復していない。年齢は御者の方が僕よりも少しだけ上に見えたが、体力は僕の何倍もあるようだった。
 捕まって、地面に組み伏せられる。馬乗りになった御者が、僕の耳元に顔を近づけて、囁く。
「おもしろいじゃねえか、よう。え? 従うでもなく歯向かうでもなく、逃げるとはな。だからお前は、列車から落とされたんだよ、このカマ野郎」
 許してください、と言う暇もなく、顔を殴られる。歯が折れたのか、血の味が口の中に広がる。御者はナイフを取り出すと、僕の胸の上で×印を描く。服とともに皮膚が破れる。ナイフが赤い血で染まる。御者はそのまま乱暴に僕の服を破いていく。「お前のせいだからな」と言って、ボロ布と成り果てた服で、僕の胸部から流れ出る血を拭った。「ほら、立て。これ以上、痛い目には合いたくないだろう」
 僕にはもう、逆らう気力すら湧いてこない。今度逆らったら、きっと僕は殺されるだろう。屈強な体つきをした、同年代の、この男に。
 腰に皮製のベルトが締められる。そのベルトは太い縄ロープで馬車と繋がっている。両手首には金属製の手錠が嵌められる。手錠には金属の鎖が付いており、ロープと同様、馬車にしっかりと取り付けられている。逃げられない。
「俺の車は24時間走り続ける。年中無休だ」と御者が言う。「お前ら〈馬〉の〈シフト〉は、これから、18時間ごとの交替制になる。18時間働いて、6時間休みだ。休みは1人ずつ交替で取れ。1人が休んでいる間、残りの3人が車を牽くんだ」
 早口に労働条件が一方的に告げられる。それで終わり。僕の了承は必要とされない。
 僕の替わりに〈馬〉の一人が役務から解放される。ただし、後ろ手に手錠をされ、両足にも拘束具が嵌められた。御者は、麻袋を肩に担ぐように男を持ち上げると、そのまま一緒に車の中へ消えていった。
 残った二人がおもむろに歩き出す。誰も喋らない。一歩を踏み出すために全身の力を搾り出さなければならない。無駄話などできない。静かに馬車は進む。時おり車の中から御者の鼻歌が聞こえた。
 何時間が経過しただろうか、〈馬〉の一人の動きが悪くなる。僕ともう一人の少し後を付いてくるだけになった。彼の縄は浅いUの字を描くように弛んでいる。彼は車を牽いていない。
「おい、お前……」と、僕はサボタージュを決め込んだ彼に向かって悪態を吐こうとする。しかし、もう一人の男に窘められる。
「やめておけ。もともと休憩時間が6時間というのが短すぎるんだ。その6時間の間に一日に一度の食事と睡眠をとらなくちゃならない。足りるはずがないんだ。こうして御者にバレないように交替で休まないと身が持たん。なあに、お前が来るまで、2人で〈馬車〉を牽いていたんだ。3人の内1人がサボろうが問題ないさ」
 彼の言葉通り、ほどなくして休んでいた男が再び僕らに合流し、さらにほどなくして、もう一人の男が同じようにサボタージュを始めた。そして、とうとう僕の番が回ってきた。車を牽くのをやめ、残り二人の少し後を付いていく。車を牽く状態に身体が慣れてしまったのか、重みが無くなるというよりも、追い風が背後から吹き付けてきたかのように身体が軽くなった。
「何してやがる!」
 突然、怒気をはらんだ大声が背後で爆発した。肩越しに後ろを見ると、御者台の上で御者が顔を真っ赤にして立っていた。僕は運が悪い。
「進むのが遅い、遅いと思っていたら、サボっていやがったとはな! この野郎! ふざけんじゃねえ!」
 背中に何度も鞭が喰い込み、皮膚が破ける。血が流れ落ちるのを背中に感じる。あまりの痛さに足を止めると、背中ではなく頭部にも鞭を入れられた。御者の怒りは一向に収まらない。
「まだ自分が、あの特急列車の乗客だと思っていやがる。貴様には〈教育〉が必要なようだ。〈新人研修〉だ! お前らは〈馬〉だ! 復唱しろ! 『私は馬です』!」と御者が怒鳴った。
「私は馬です」と〈馬〉の男二人が御者の最後の言葉を繰り返した。僕も慌てて「私は馬です」と言う。
「馬が二本の足で歩いてんじゃねえ! 地べたに這いつくばって歩かねえか!」
 〈馬〉の二人は両手を地面に付く。そうして獣のように四本足で進みだした。
「てめえもさっさと這いつくばりやがれ!」言葉とともに鞭が振り下ろされる。仕方なく僕も地面に両手を付く。突き出された僕の尻に、御者台の上から御者が鞭をふるう。何度も、何度も、鞭で尻を叩かれる。
「どうだ、お前は何だ? 言ってみろ!」と御者が怒鳴る。
「馬です」と僕は笑いながら言う。
 笑うしかない。

 そのような日々が続いた。

 そのような日々の中で、年に数度、一つの〈オアシス〉に家族が招集された。その〈オアシス〉は僕が生まれた故郷だった。つまり、簡単に言えば、実家である。正月や盆の時だけは、何故か、〈特急列車の乗客〉も〈馬〉も関係なく、家族というだけで、一緒に集まらねばならなかった。
 久しぶりに会う家族は丸々と太っていた。僕は骸骨のように痩せ細っていた。家族の男共の左手首には高級時計が巻かれ、女共の化粧は派手さを増していた。僕だけが着古されたボロボロの服を着ていた。幼い子どもたちが、親である兄弟たちの腕の中で愛らしい笑顔を振りまいていた。僕は、両親に「さっさと列車に戻らんか!」と理不尽な説教を受けていた。戻れるものなら戻っている。

 日本は格差社会が進んでいるという。僕の感覚では、「階級社会」だ。帰省という特別なイベントがない限り、僕は、僕と同じような階級に属する人々としか接触を持たない。〈御者〉も所詮は「こちら側」の人間に過ぎない。〈馬車〉で〈オアシス〉に着いたとしても、そこには実に貧しい食料しか残されていない。
 僕らは、〈列車の乗客〉と関わることがない。
 〈列車〉から転げ落ちた時点で、僕は彼らの世界から追放されたのだ。

 異なる世界の住人となった家族(特に兄弟)を前にして思うことは、日本に存在する圧倒的な貧富の格差と、「何かと大変でしょうが〈列車〉からは降りない方がいいですよ」ということだけだ。


(※この記事は旧ブログからの移管記事です。2015年冬up)


スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA