【散歩】雪の河川敷。~みぞれまじりの雪が降っても~
天候が悪い日に限って近所の河川敷を散歩したくなるのは、ホモ・サピエンスが少ないからだ。
ビルや住宅がごちゃごちゃと立ち並ぶ下町の中で、視界を遮るものがない河川敷は数少ない心のオアシスだが、そう考えるのはなにも僕だけではないので、天気のいい日の河川敷は他のホモ・サピエンスに占拠され、僕の意識は彼らに分散されてしまう。
一方で、天気の悪い日の誰もいない河川敷では、目に見えるのは自然物だけで、僕はどこまでもひとり・1人・独りで、僕は僕だけのために僕だけのことを考えられる。
想像をぜっする、解放感。
顔にぶつかる雪の冷たさ、北風の寒さ、濡れた運動靴の不快さ、ジンジンする耳の痛さーー。
そんなもの、だだっぴろい空間の中で、ひとり立ち尽くす解放感と比べれば、どうってことはない。
僕はただどこまでも歩いていく。
パトラッシュ、誰からも気にかけられないって、辛くもあるけど、こんなにも気持ちのいいことなんだね。
「フランダースの犬」のネロも天国でそう言っていた(言ってない)。
iPhoneで音楽を適当に再生したら、場違いなケツメイシの曲が流れ出した。
誰もいない河川敷では、いちいちイヤホンを用いる必要はない。本体のスピーカーから直接、風の音を消さない程度の音量で軽快な音楽を鳴らす。
「ケツノポリス」の3か4。とりあえず「三十路ボンバイエ」が入っているアルバムだ。
「涙まじりの雨が降っても 三十路街道 止まらずに行こう」という冒頭の歌詞が、僕の気分にドンピシャにはまった。
心を明るく奮い立たせてくれる曲調はそのままに、頭の中で勝手に歌詞が一部改変されていく。
「みぞれまじりの雪が降っても 三十路街道 ひとりきりで行こう」。
「三十路ボンバイエ」の本来の歌詞はよく読むと、勝ち組リア充30代男の愚痴に見せかけた自慢なので、基本的には共感できないのだが、ケツメイシの「夏の太陽のように明るくも、どこか憂いを帯びた曲調」は好きなので、聴き続けた。
ウザったい歌詞は、脳内で自動改変されていった。
冒頭と同じサビが繰り返される度に、心の中で大声で歌った。
「みぞれまじりの雪が降っても 三十路街道 ひとりきりで行こう」。
天候は荒れていき、吹雪と言っても過言ではない様相となってきたが、僕はますます独りきりの散歩を止められなくなり、河川敷をどこまでも歩いていった。
やはり悪天候の日の散歩は最高だ。
河川敷から住宅街へと戻る。
路傍の花に溶けかかった雪が積もっており、朝日にキラキラと反射していた(上)。
僕と同じようにネコかイヌも独り散歩を楽しんでいたみたい(左下)。
坂道で自転車に乗った男子高校生が盛大に転んでいた。この地方の住人は雪に慣れていないのだ。遅刻も覚悟で自転車から降りて歩くのが正解だったね(右下)。