【実証実験】「オナ禁」を2週間した結果。【シコシコ祭り大開催】
2024年は、誰もが予期しない波乱の幕開けとなった。
年初から日本で世界でいろいろあったが、僕にもいろいろあった。
昨年末、僕は壮大な抱負を掲げていた。(詳しくはこちら↓)
世界からすれば僕の存在自体が塵芥にすぎないのであって、僕がその抱負を成し遂げようが世界には微塵の影響もないのだが、僕個人にとってはその抱負を実現できるか否かは重大事であった。
その抱負というのは、「元日から2週間、『オナ禁』する」だ。
結果として抱負は達成されたのだが、その詳細と、いろいろあった後日談を下記に記す。
目次
●2週間「オナ禁」をした結果。
○「人間の証明」は果たされた。
詳しくは下記で述べるが、曲がりなりにも抱負は達成された。
すなわち、2024年元旦から14日まで、僕は1回もオナニーによって射精に至っていない。
前回の記事でも述べたが、「オナ禁」達成の事実は、「欲望を理性によって制御できる真っ当な人間」であることの証明だ。
その証明を果たせて、非常に満足している。
性犯罪者のように、社会的破滅は容易に予測できるのに性衝動に抗うことができない意志薄弱な人間とは違うんだと、ある程度の確度で言えることができ、安心している。
僕は信念として、「人間は『機械人形』にすぎず、故に、個々の人間に倫理的優劣はない」と考えている。なぜなら、「機械人形」=「ただの物質」に倫理的責任を問うことはできないからだ。
よって、「宗教上の理由から性器を切り落とした聖職者」と「性犯罪の累犯者」にも、究極的には倫理的優劣はないと考えている。
別に、性衝動を抑えられる真っ当なジェントルマンが、性衝動を抑えられないレイプ魔より優れているわけではない。
とは言え、それはあくまで第三者的立場から客観的に考えたときの形而上的結論であって、当事者としての生身の僕は、やはり、「欲望を理性によって制御できる人間」を、「そうでない人間」より、「優れた人間」だと感じてしまっている。
そう感じざるを得ないように人格を形成されたに過ぎないのだが、そう感じてしまっている以上、「理性を持った人間」であることの証明は、脳内の快楽物質の散布に繋がった(分かりやすく言えば、自己肯定感を高めてくれた)。
2週間にも及ぶ苦行を、自らの意思で成し遂げることができて、まずは非常に満足している。
○ムラムラを抑える労力が多大すぎる。
さて、ポルノに性欲を過度に刺激され、頻繁にオナニーを行ってしまう最大のデメリットとして、前回の記事で「意欲の減退」「無気力」を挙げた。オナニー以外なにもしたくなくなる。それが最大の問題だった。
では、「オナ禁」によってそれは解消されたのか。
残念ながら、うまくいったとは言えない。
「意欲」「欲望」の向かう先を、オナニー以外にうまくシフトチェンジできたとは、到底言えない。
依然として、僕の欲望はオナニーに向いており、その衝動を抑えこむのに多大な労力と時間を費やした。
不意に、下半身がうずく。オティンコポンが鎌首を持ち上げようとするのを感じる。落ち着かせようと、両眼を閉じ、深呼吸を繰り返す。静まれ、静まれ……。
静まったと思ったら、またすぐに、強烈な性衝動が襲ってくる。再び、瞑想を繰り返さねばならない。
時間は食うし、非常に疲れた。
最後のほうでは、大げさではなく、腹部に痛みすら覚えた。
「セロトニン」や「オキシトシン」といったオルタナティブな快楽物質を獲得できれば、オナニーをしたいという「ドーパミン」への衝動は湧かない。
それはどうやら確かなようだ。
正月休みで実家に帰省し、朝日を浴びながら散歩がてら初詣をし、近くの温泉施設で湯船にゆっくり浸かってサウナにも入り、幼い甥っ子たちと思いっきり遊んでいたら、オナニーをしたいなどとはまったく思わなかった。
問題は、三が日が終わり、再び独身中年男の孤独な日々が始まってからだ。
前回の記事で述べた「セロトニンやオキシトシンを獲得する方法」を、一切行うことができなかった。
まず、年始から仕事で極めてストレスフルな事件があり、そのようなことをする気になれなかった。
また、ストレスによって僕の欲望は肥大していたと思うのだが、それでも、その矛先がオルタナティブな選択肢に向かわなかったのは、やはり、オナニーに比べてそれらを実行することが手間だったからだろう。
逆に、オナニーで1発でも抜けばイライラも少しは収まると考えると、余計にストレスが溜まった。
オナ欲を抑え込むのは本当に大変だし、逆にストレスが溜まり欲望が膨れ上がってしまうことを、身をもって知った。
オルタナティブな選択肢を実行に移せない以上、「オナ禁」にはまったく意味がない。
そればかりか、ストレスが増大するばかりで、ネガティブな効果が現れる。
○睡眠障害に陥る。
オナ禁か、仕事のストレスか、その両方か、原因は不明だが、期間の後半から睡眠障害に陥った(現在進行中)。
寝つきも悪いし、夜中に目が覚めて、そのまま朝まで眠れない。
睡眠時間が3~4時間という日が、1週間は続いた。
もちろん、日中はダルいし、オルタナティブな選択肢への意欲も到底湧かない。
オナ禁前は、基本的に就寝時にシコっていた。
出すもの出してスッキリするし、適度な疲労感も得られる。
結果、よく眠れていた。
解禁日後、就寝時の自慰・射精を再開した。
寝つきは格段に改善した。
夜中に目が覚めるのは相変わらずだが、目覚める時間が遅く(朝方に)なっている。
「睡眠」という点に限って言えば、明らかに「オナ禁」にはデメリットしかなかった。
○「夢精」は経験できず。
苦痛しかない「オナ禁」をなぜ達成することができたのか――。
上述の「人間の証明」以外の理由の1つに、「夢精」に対する期待があった。
マスターベーションによる射精を一定期間行わずにいると、睡眠中に淫夢を見るなどして、シコらずにオーガズムに達することができるらしい。しかも、そのとき得られる快感は、通常のオナニーでの射精を遥かに凌駕するものといううわさであった。
是非とも、経験してみたい。夢精未経験の僕は、強くそう願った。お星さまに祈りを捧げた。
夢精の確率を高めるには、性欲を限界まで溜めておくことが重要らしかった。
オナ禁により性欲が溜まりまくっている状態で、さらに加えて、寝る前にポルノを見まくった。
今回の目的はあくまで「オナ禁」だ、自慰により射精に至らなければ「オナニー」をしたことにはならない。ポルノを見て、オティンコポンをギンギンに屹立させるのはなんら問題ではない。
そう自分に言い訳をした。
矛盾した行為であったことは、認める。
ポルノに性欲を過度に刺激されるのが問題だと感じ、オナ禁を開始したのに、ポルノを見ているという矛盾。
寝つきが悪いと思っているのに、就寝前にスマホ画面でポルノを見続け、ブルーライトを浴びまくるという矛盾。
しかしながら、夢精への期待なしには、とてもではないが、14日間もオナ禁を続けることはできなかっただろう。
結果としては、あれほど性欲を高めていたというのに、夢精を経験することはできなかった。
くやしい。その一言だ。
○ネット上で囁かれるメリットは感じられず。
知的好奇心から、ネット上でまことしやかに囁かれる「オナ禁のメリット」についても観察してみた。
集中力や意欲が上昇する。 → 上述のように、むしろ減退。
筋肉量が肥大する。 → 特に変化なし(そもそも筋トレしてないけど)。
抜け毛が減る。 → 実感できるほどの変化はなし。
ヒゲが薄くなる。 → ヒゲ剃り後の青みが薄くなった気がしないでもない。
肌質が改善する。 → 期間中にニキビが複数個でき、むしろ肌質は悪化(上述のストレスが原因か)。
以上のように、自分の身体を使って検証した結果、「ネット上のうわさはほとんどウソ!」と結論付けざるを得ない。
ネットでも「オナ禁のメリットとされている事象の多くは、科学的に証明されていない」とする言説が多数派だ。そのことは開始前から知っていたが、モチベ維持のために少数派の言説にすがったのだ。
やはり、「オナ禁推進派」ではなく「オナ禁否定派」の言説が正しいようだ。
オナ禁は、身体に悪い。
●解禁日にさっそく「シコシコ祭り」を開催してしまう。
○人生最多! 1日に5発!
①
不眠症の僕は、解禁日の15日も深夜2:00頃に目が覚めてしまった。
「また朝まで眠れず悶々と過ごすのか……」と溜息が出たが、「そうだ今日は待ちに待った解禁日だ!」ということに気づいた。
0:00を過ぎたのだから、どれだけシコろうと問題はない。すぐさま、スウェットとトランクスを膝までずり下ろし、スマホでお気に入りのAV動画(「一○瀬すず 輪○ 旅館」)を検索した。
最初、オティンコポンの反応は鈍かった。オナ禁前ならば、スマホで動画を検索している間にオティンコポンはギンギンに勃起していた。だが、久しぶりのオナニーにおいては、硬くなるまでに若干の時間を要した。
しかし、最初こそ反応が鈍かったものの、その後は以前と同様、いや、やはり、久しぶりのオナニーは遥かに気持ちが良かった。
夢精とともに、この解禁後の開放感をこそ、僕は求めていたのかもしれない。
「オナ禁」は、この快楽を得るための手段でしかなかった気もする。
もう「オナ禁」期間の後半は、「夢精」と「解禁後の特別なオナニー」のためだけにオナ禁していた。それは率直に認めざるを得ない。
精液は、暗闇の中、直接ティッシュに出したので、その量や見た目に関しては確認できなかった(ネット情報では、オナ禁後の1発目は量も多く濃度も高いとのことだったが)。
満足感を覚えたら、すぐに再び眠りに就くことができた。
やはりマスターベーションには、ストレス軽減・リラックス効果がある。
②
朝は、いつもと同じ6:00頃に目が覚めた。
もちろん、オティンコポンは健康的に朝勃ちしていた。
昨日までとは違って、ムラムラを我慢する必要はない。
またもや、シコった。
1回目とは違う動画を探した。気づいたらゲイポルノを見ていた。
スマホ画面の中の彼と、同時に発射した。
➂
19:00頃、帰宅した。着替えの途中でまたもやムラムラしてしまった。
部屋着を着ることもせず、むしろ下着も脱いで、全裸オナニーに耽った。
ここで初めて、オナ禁後のオティンコポン(勃起状態)をじっくり観察できた。勃起状態のそれは、オナ禁前と変化ないように見えた。
一方、通常状態のオティンコポンは、オナ禁期間中、明らかに小さくなっていた。
男性ならば分かると思うのだが、寒い中に長時間いたり、プールで泳いだりした後などは、オティンコポンが通常状態よりさらに縮こまることがある。その状態が、オナ禁期間中の通常状態だった。
やはり、使わない器官は不要なものとみなされ、全身における容積比率を減少させるのだな、と深く感心したことを覚えている。
縮こまったオティンコポンは、先っちょまで皮に覆われ、蓑虫のように冬眠していた。
14日間のオナ禁による外的変化が勃起時にも現れるかと思ったが、そうはならなかった。(まぁ、なにかしらの変化が仮にあったのだとしても、既に2回オナニー済なので、それでオナ禁前に戻ってしまったのかもしれないが。)
オティンコポンは、既に同日2回も射精しているというのに、オナ禁前と同じく、雄々しく屹立していた。むしろ、血管の浮き上がり具合など、オナ禁前よりパワーアップしているようにさえ見えた。サイヤ人が瀕死の状態から回復すると爆発的に戦闘力を上昇させるのと似たようなものなのかもしれなかった。
存分に慰撫した。オティンコポンだけでなく、乳首、○玉など他の性感帯もいじりまくった。
発射された精液は、いつもは腹部のところ、このときは胸部まで飛んできた。
④⑤
もう十分だった。まったくもって満足だった。
3回目のオナニーで存分にリラックス状態に陥った僕は、晩メシと風呂を済ませると、今日こそは朝まで爆睡できるだろうという期待のもと寝床に入った。
しかし、眠れないのだった。
枕元にamazonの段ボール箱があった。その中のモノを解禁日に絶対使おうと思って、わざわざそこに置いていたのだ。
それがどうしても気になった。
23:00頃--。
解禁日に使おうと思ってせっかく用意したのだから、やっぱり使うか。
そう思い、寝床から出て部屋の電気を点け、amazonの段ボールを開封した。
僕が、解禁日の特別なオナニーのために用意していたものは、オナホール(TENGA)だった。
詳細は後述するが、結論を先に述べると、この日、僕は、TENGAを使ってさらに2回射精した。
1日通算すると、5回の射精となる。
30代半ばにして、1日の射精回数を更新した。
オナ禁により性欲は自然に減退するどころか、溜まりに溜った性欲が解禁後に大爆発を起こすことを身をもって知った。
盛大な「シコシコ祭り」が開催されたのであった。
○TENGA、キモチィィィィィイイイイイイイイイイイイイッ‼
今回の「シコシコ祭り」のクライマックスは、「TENGA」だった。
人生初のオナホールとなる。これまで必要性をそこまで感じず、使ったことがなかった。
だが、「人生初の長期のオナ禁」に耐えきった自分への褒美として、それに匹敵する「人生初」のなにかが欲しかった。
オナホ(使い捨てタイプ)は、コスパ的にも、ネットで簡単に購入できるという手軽さからも、妥当な選択だった。
数あるオナホの中から「TENGA」を選んだ理由は、単純に「TENGA」が最大手だったからだ。失敗するリスクが少ないと考えた。
今回は、「スタンダート」と「プレミアム」の2種を購入した。
いきなり「プレミアム」の味を覚えてしまっては「スタンダート」が楽しめないだろうと判断し、「スタンダート」から体験することにした。
ラップ包装を破り、空気穴のシールを剥がし、反対側(挿入側)の蓋を開ける。
中にはたっぷりとローションが塗布されているようで、たらり、と、ヌルヌルした液体が垂れてきた。
指を突っ込んでみる。想像以上に女性器内部の感触と類似しているように思えた。襞やヌメり具合の話だ。一方で、骨の硬さや筋肉の収縮は感じられなかった。ただ、ところどころに「くびれ」が設けられているようで、指ではなく太く膨張したオティンコンポンを突っ込めば、その「くびれ」が締め付けに似た快楽を呼び起こしてくれそうだった。(あくまで、ほぼ童貞の意見だ。)
既に3回抜いており、オティンコポンはさほど積極的ではなかった。
半勃ちの状態で挿入を試みたが、うまく入らなかった。
手で軽くシゴいて、フル勃起させた。
TENGAの挿入口に、亀頭の先端をあてがう。
ぬるぬるぬるっ、と一気に挿入した。
イヒッ、キモチィィィィィイイイイイイイイイイッ‼
と思った。
手コキでのオナニーが「シゴかれる」というオティンコポン側からしてみれば受動的感覚を脱しないのに対し、オナホ(TENGA)でのオナニーは「穴に挿入する」という能動的感覚を強烈に生じさせた。
端的に言えば、「犯されている」ではなく「犯している」という感覚だ。
さらに、根元から先端まで同時に刺激できるのも、オナホならではだった。
手コキでは、両手を用いても、オティンコポン全体を同時に慰撫するのはなかなか難しい。
オナホでは、勢いよく根元まで挿し込んでも、先端(亀頭)が穴(刺激帯)から出ることはない。むしろ、オナホの最奥部に設けられた特別な突起が亀頭を強く刺激する。
中途半端な箇所で止めることなく、オティンコポンの付け根に向かって、思いっきりオナホを何度も打ち付けた。付け根のまわりの皮膚に打撲痕が残りかねないほどに、強く。
射精の際に「どこに出すか」を考える必要がないのも、オナホの利点だ。
手コキの場合、ティッシュに出すにしても、自分の身体にかけるにしても、事後処理の手間を考えて、精液を出す場所を考える必要がある。それを考える一瞬が、オーガズムの興奮を削いでしまう。
オナホの場合、オナホが精液を存分に受け止めてくれるのだから、イク瞬間に余計なことを考えなくともよい。絶頂だけに耽ることができる。
どっぷり、出した。
もちろん客観的に計測したわけではないが、主観的には、その日一番出たと思う。それだけオーガズムの時間が長かった。オナホの中で、オティンコポンはいつまでもビクビクと痙攣していた。
すぐには抜かなかったのだが、萎えたら、自然と押し出された。
圧倒的満足感を覚えて、賢者タイムに入った。
トランクスを履くこともせず、下半身全裸で布団に横たわっていた。枕元には使用済みのオナホが置かれたままだった。
もういいだろう。もう十分だろう。今日はこれで終わりだ。寝よう。
――という方向に、意識は進まなかった。
賢者タイムを開始して数分後には、またもやムラムラが襲ってきた。
自分でも驚いた。
明らかに性欲が暴走している。爆発している。
イッてもイッても、際限(きり)がない。
もはやこれは、オナ禁の悪い副作用と言える。なにごとも無理をしてはいけないのだ。しっぺ返しが訪れる。
14日分の鬱憤を晴らすべく、オティンコポンは強力に僕をオナニーへと誘惑した。
再びTENGAを使ってオナることにした。
人生初の、1日で5回目の射精に向けて。
TENGAは「プレミアム」を使うのかって?
底辺貧乏中年男をみくびってはいけない。
たった今使用した、内部に自分の精液の残っている「スタンダード」を、もう1回使うんだよ。
上半身も服を脱いで、全裸になった。
椅子とクッションを用いて、オナホを「ちょうどいい位置」に固定する。
2回目のオナホオナニーは、オナホを動かすのではなく、オナホを固定し自分の腰を動かして行うことにした。いわゆる「腰振りオナニー」だ。
しかし、これはうまくいかなかった。
最初の数回のピストンは、確かに気持ちが良かった。だが、快感と興奮が高まり、強く腰を打ち付けると、いとも簡単にオナホは最適な場所からズレてしまう。
結局、最終的には1回目と同じく、手でオナホを激しく上下に動かし絶頂を迎えた。
さすがに精力が尽き果てた。
意識を失うようにして、そのまま眠りに落ちた。
●そして、人生初の「ギックリ腰」へ……。 ←イマココ。
翌朝は、数日ぶりに爽やかな目覚めだった。
オナニーのストレス軽減・リラックス効果により、不眠の症状は現れず、6時間ほどぐっすりと眠ることができたのだ。
今後は無理な「オナ禁」はしないでおこう、と思った。
冷静に考えても、「オナ禁」にはメリットよりデメリットのほうが多い。
いつものように、布団をたたもうと、腰をかがめた。
そのときだった。
グキッ。
はっきりと聞こえるくらいに、嫌な音がした。
そして、脊椎骨の1つがズレたような、明らかな違和感。
すぐに強烈な痛みが襲ってきた。
立っていられないほどだった。
たたもうとしていた布団の上に倒れ込んだ。
明らかに、俗に言う「ギックリ腰」というやつだった。
原因も、明白。
昨日の「シコシコ祭り」だ。
ぜってえ今後二度と「オナ禁」なんてせえへんからな、と強く決意した。
「オナ禁」の反動として「シコシコ祭り」が開催されてしまったのだから。
布団の中で「オナ禁」などという無意味な行為に挑んだことを、強く強く、後悔した。
すぐには起き上がれないことは明白だった。
――今、思い出しても、気が滅入る。
ギックリ腰から僕がどのように回復したかは別記事にしようと思う。
いずれにせよ、世の中年独身男性に「オナ禁」は推奨できない。
これは、僕が自分の身体を使って実証した明白な事実だ。
「オナ禁」なんかすんなよ。フリちゃうで。絶対すんなよ。