【日常】一人で花火を見に行ったら自分が爆発したくなった。

 夏も終わろうとする八月下旬のある日。
 アスファルトの道路の上には、セミの死骸が転がっていた。何匹ぶんも。セミの大量死。
 奴らは、たった一度の短い夏を存分に謳歌し、ヤることをヤって、そんで、死んだのだ。
 あれだけうるさく鳴き喚いていたのだから、さぞや楽しい夏だったに違いない。

 ひるがえって、僕の夏といえば、どうだ。
 僕の二十数回目の夏は、いつもの夏と同じく、何もないままに過ぎていった。
 セミでさえaventureな〈真夏の夜の夢〉を異性と満喫したであろうに。
 僕の夏の思い出は、何もない。

 夏休みの絵日記帳は、空白ばかりです。

 アァ、虚しい。
 アァ、侘しい。

 きっとセミの中にも、相方にめぐり会えなかった負け犬セミがいたことだろう。が、そいつ等も所詮はセミなのだ。夏が終われば、寿命をむかえて死ぬ。
 僕は死ねない。この空虚感を抱えながら、秋の訪れを待つしかない。

 少しは夏らしいことでもしたい。そう強く思った。孤独でも、一人でも、夏らしい思い出は作れるはずだ。
 そうだ! 夏と言えば花火だ。
 直感的にそう思い、割と有名な花火大会へ突発的に出かけたんだ。
 もちろん、一人で。

 結果ーー、死にかけた。
 マジで様々な意味で死んでもおかしくなかった。
 以下では、その理由を説明していきたいと思う。

 花火大会会場の最寄り駅に着いた瞬間に、僕は死に直面した。何かの瘴気に包まれたのだ。(「瘴気」とは、ジブリ映画「風の谷のナウシカ」に登場する毒ガスのようなものだ。)
 僕がいつも慣れ親しんでいる世界の空気と、ここの空気は、明らかに違う。間違いない、瘴気だ。この空間に長く留まっていると、僕は死ぬ。
 この瘴気の出処は一体どこだ?
 この駅はいつから瘴気に侵されるようになったんだ?

 前を歩く同年代のカップルから、強烈な瘴気。
 男が何か冗談を言い、それに対して女が大げさな笑い声をあげる。甲高い声が耳をつんざく。女の口からは笑い声と共に、瘴気が、漏れている。ウウッ、苦しい。
 苦しむ僕の横を通り過ぎて行く、浴衣姿の別の女。若い。かわいい。
 彼女の片手は僕ではない別の男の片手と固く結ばれている。花火大会が終わった後、男は、女の浴衣をそっと脱がすだろう。もしくは、乱暴に、脱がすだろう。いずれにせよ、脱がす、のだ。脱がさない訳がない。鼻の下が伸びきった男の鼻の穴から、瘴気が大量に漏れていた。空気が澱む。ウウッ、苦しい。

 カポーだ。カップル。couple。
 この不快な空気の原因は、こいつ等だ。
 ふざけんな目障りだ消えろ。KY共が。空気嫁。人目をはばかれ、不埒者ども。公衆(俺)の面前でイチャついてんじゃねえぞ、変態か。止めろ。その笑い声を、止めろ。この暑苦しい夏の夜に身体を密着させ合ってんじゃねえ。見てるだけで暑くなんだろうが。離れろ。止めろ。止めろ。止めろ。おまえ等、みんな、呼吸を、止めちまえ。

 待てよ? 待て待て。もしかして花火大会て、カップル限定のイベントだったんじゃね? 「お一人様お断り」と注意書きされた看板を俺が見落としたのか?
 僕は一瞬だが、本気でそんなことまで考えてしまった。
 それほどまでに、今年の花火大会のカップル率は異常だった。

 花火大会には、ほぼ毎年行っているが、これほどカップル率が高いのは今年が初めてだった。
 あまりにカップルが多いので、男の二人連れを見かけて、「あ、ゲイカップルだ」と、勝手に解釈してしまうほどだった。(いや、本当にゲイカップルだったのかも知れんが。)
 とにかく、家族連れや中高生の同性グループなどが少なく、やたら同世代のカップルばかりが目立ち、花火を見る前に、僕は駅のホームから身を投げ、自死を図るところであった。
 火薬玉が夜空で爆発する前に、僕が爆発するところであった。

 不思議なものである。普段は、結婚願望はおろか恋愛願望や性交願望もさほど感じていないのに、こういったカップルに満ちた空間に身を投げ込まれると、死が僕を誘惑するのである。
 孤独は、ひきこもっている部屋の中で感じるものではない。花火大会会場の最寄り駅で感じるものなのだ。
 孤独な男子は、カップルどもの放つ瘴気に侵されないよう、細心の注意を払って、花火大会に臨んで欲しい。

 突如として湧き上がった自殺願望になんとか打ち勝ち、花火大会会場となっている河川敷へと来た。
 あいかわらずカップルが目立つ。二人で花火を見上げ〈イイ感じ〉になっているカップルの様子など死んでも目に入れたくなかったので、偶然見つけた男子中学生と思われる同性グループのそばに位置どりし、花火大会が始まるのを待った。
 その間、男子中学生たちの会話が耳に入ってきたのだが、「来年は彼女と来てえ」「ぜってえ彼女作る」といった言葉が聞こえてきて、愕然とした。愕然とした。愕然とした。自分の未成長ぶりに。
 どうか彼らが僕と同じ二十数歳になっても、今と同じ台詞をほざいていますように。
 彼らが僕と同じく「彼女いない歴=年齢」のまま大人になることを、心から願って止まなかった。

 川沿いに立つビル郡の明かり。都市の夜景。 この日は台風一過の晴れで、月も綺麗に見えていた。幼い頃の高揚感が蘇ってくる。
 そして、音楽が鳴り響いた。花火大会開始の合図だ。
例年は会場中心部ではなく少し離れたところから花火を見ているので、音楽はかすかに聞こえる程度だった。ただ今年は、カップルがなるべく少ない場所を求め、人の流れに身を任せるうち、会場の中心部へと来てしまっていた。音楽もよく聞こえる。どうやらここは、広大な会場の中でも、間近で花火を観覧できるベストプレイスのようだった。
 一発目の花火が打ち上がった。
 パンッ! ドバン!
 続いて、二発目、三発目……。
 ドバババン! パバッ!
 ちょ、ちょっと近すぎたかもしれない。
 僕は命の危険を感じ始めた。
 花火は、僕のほぼ真上に打ち上がる。花火を見上げるのに、首をほぼ真上に九十度近く曲げていた。また、打ち上げではない「しかけ花火」は、まさに目前で火花を散らしていた。もう少しで花火の火の粉が顔面に降り注いできそうだった。
 例年であれば、遠くの夜空に花火が大輪の花を咲かせているさまを優雅に見上げていれば良かった。だが、今年は、どうも、そんな感じじゃない。
 ちょっと、もしかすると、打ち上げ地点に近すぎたかも知れない。

 暑いのは、もしかして夏の暑さだけじゃなくて、花火の熱なんじゃないだろうか。
 花火の破裂音が耳の中で轟き、鼓膜が破れそうだ。火薬の臭いに噎せそうになる。
 ドパッ! ズドドドド! ドバンドバン!

 僕は思っていた。
 あまりに強烈な閃光で見えないが、空の上では、野鳥が数匹、丸焼きになっている。
 丸焼きを逃れた鳥たちも、巨大な火薬玉が爆発する凄まじい破裂音に驚いて、気を失い、地上へ墜落しているかもしれない。(花火大会後、スマートフォンで検索をかけると、実際、花火の犠牲になる野鳥も多いとの記載があった。)

 極彩色の光を際立たせる、漆黒の闇。
 その暗闇の中で、僕たちには見えないけれど、野鳥たちの、阿鼻叫喚。

 そうして、思考は進んだ。
 打ち上げが何かの手違いで失敗したら――。
 夜空に打ち上がるべき火薬玉が、間違って、僕ら観客の方に向かって飛んできたら――。

 僕ら人間の、阿鼻叫喚。

 幸せの絶頂に近いところにいるカップルたちの、阿鼻叫喚。
 
 ハハハ。

 花子、俺の後ろにかくれろ! 飛んでくる花火はすべて俺が受け止めてやる! お前の身体には一つの火傷あとも残すものか!

 太郎さん! やめて! 私があなたの盾になるわ! あなたは生きて!

 バカ野郎! 花子!

 きゃあああああ。

 うわあああああ。

 なんてね。
 そんなことまで考えてしまうので、花火は遠すぎても迫力に欠けるが、近すぎても迫力がありすぎる。来年以降は適度な距離感を大事にしたい。

 ところで、社会的ひきこもりである僕にとって、帰路は地獄であった。
 混雑具合が例年の比ではなかったのだ。
 こんなに混雑していたか? いつもは、花火終了後すぐに駅に向かったり、近くの店で晩飯を済ませたりしていたから、混雑に巻き込まれなかっただけなのか?
 僕は群衆に取り囲まれていた。比喩表現でもなんでもなく、身動きが取れなかった。
 朝の通勤ラッシュ時の電車内を体験された方は想像がつくだろう。四方八方から身体が圧迫される、あの恐怖。自分の吐いた息をとなりの他人が吸い、となりの人間が吐いた息を僕が吸う。
 あれと似たような現象が最寄り駅に向かう路上で起こっていた。特に酷かったのが会場出口付近だった。
 警備員が何か言っているが、群衆は少しも動く気配がない。
 僕はパニックに陥りかけた。
 このまま数時間も動かないのではないか?
 無数の見も知らぬ他人(しかも大多数はリア充カップル)に取り囲まれた空間に、数時間も閉じ込められ、逃げられないのではないか?
 嫌だ!
 ちょっと。通して下さい。急いでるんです。ごめんなさい。通して下さい。苦しいんです。死にそうなんです。通して下さい!
 もう少しで僕は、そう叫びながら、人と人の間に割って入っていくところだった。
 自己中心的で身勝手な行為だ。危険な行為でもある。しかし、このままでは僕は窒息死してしまうのだから、これは緊急避難なのだ。刑罰には問われまい。クソッタレ、そこをのきやがれ! バカップルども!
 おそらく、僕の試みは失敗に終わっただろう。
 なぜなら、人間の背中がみっちりと密着し、強固な壁となっていたのだから。肉と肉の間に人が通れるほどの隙間を広げるのは不可能に近かった。
 夏の暑さと恐怖でポロシャツの背中を汗でびっしょりと濡らしながら、僕は、待った。延々と待った。気が遠くなりかけた頃(僕にとっては永遠の時に思われたが、実際は十分程度だったろう)、ようやく群衆は動き始めた。
 その状態のまま、駅の改札を通過し、大阪都心へと向かう電車の中に閉じ込められた。

 電車を降りた時、僕は地獄から生還したと本気で思った。

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