【映画】「猿の惑星 新世紀(マット・リーヴス監督)」を観た感想。

平和を達成できぬ「サル」。


 僕の中で、「猿の惑星」シリーズは、SF映画ベスト上位に必ず入っている。猿が人間を支配する異様な星が、実は遥か未来の地球の姿だった、という結末の初期の作品を観てから、僕は「猿の惑星」ファンである。
 現実世界で人間たちに虐げられている動物(類人猿)が、仮想世界では人間様を虐げているのだ。
 この逆転劇!
 この痛快さ!

 僕ら負け犬が憎らしい勝ち組どもを奴隷にしているさまを想像するのか、僕はいつも猿たちに感情移入して観てしまう。

 猿側に感情移入する人は決して少なくないだろう。
 実際、初期の頃から、猿たちは単なる悪役としては描かれていない。人間と同等の、あるいはそれ以上の〈人間性〉を持った存在として描かれている。
 人間と猿の対立と友好――これが「猿の惑星」のストーリーの主軸であるが、猿を人間のアナロジーとして描くことで、我々人間の愚かさや尊さを表現しているのである。

 初期の作品では、〈差別意識〉が隠れたテーマだったと思う。
「猿が人間を家畜やペットのように支配している」というショッキングな設定をあえて持ち出すことで、現実世界での奴隷制度や人種差別などを揶揄・批判した作品と捉えられることも多い。

 では、今作では、猿を描くことによって人間の何を描きたかったのだろうか。
 答えは簡単で、〈戦争〉だ。同種間で殺し合いを繰り広げる、人間の愚かさだ。

「エイプ(類人猿)はエイプ(類人猿)を決して殺さない」
 これが、前作で高い知能を獲得した類人猿たちが形成したコロニーの、最も重要な掟である。猿たちのリーダー、〈シーザー〉は何度もこの台詞を使う。

 そして、この鉄の掟を破った今作の悪役猿〈コバ〉に対して、こう語る。
「エイプ(類人猿)は人間よりも優秀な種族だと思っていた。しかし、お前はエイプを殺した。エイプは人間と似通っているのかもしれない」
 同種間で殺し合いを行った時点で、自分たち類人猿が、人間という下等種族にまで堕ちたと、嘆いているのである。

 人間は、ある意味、地球上で最も野蛮な動物なのかもしれない。同じホモ・サピエンス同士でどれだけの血を流し合ったことだろうか。どれほど、他の種を虐げてきたのだろうか。万物の暴君。それが人間という種なのかもしれない。

 前作で人間並みの高度な知性を手に入れ、今作でとうとう人間並みの残虐性を手に入れた猿たち。
 良識派の人間と猿が、唯一の〈万物の暴君〉にならんと争う俗悪派の人間や猿と、どう対峙していくのか。
「人間vs猿」という対立のみならず、種族を超えた「善vs悪」が初期作品から変わらず描かれている「猿の惑星」。その結末がどうなるのか。大人の鑑賞に堪え得るようなストーリーが最後まで展開されるのか。
 三部作の最終章である次作が今から楽しみでならない。



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