【映画】「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」(李闘士男監督/岡村隆史主演)を観た感想。

純粋な「夢」の訴求力。


 I have a dream. と、キング牧師は言った。
 彼の夢に、黒人を始めとする有色人種だけでなく白人までもが熱狂した。一人の男の夢が、大衆を動かし、アメリカ社会を突き動かした。

 私には夢があります。と、岡村隆史演じる〈金城健司〉は言った。
 彼の夢が、サンゴの運命を、沖縄の海を、沖縄の人々を、日本を、変えていく。

 夢には力がある。
 打算やしがらみを排して、ただ純粋に、一人の人間をひた走らせる推進力が。
 周囲の人間を魅了し巻き込まずにはいられない引力が。
 夢には力がある――このことを改めて思わせられる映画だった。

 夢は大々的に語る必要がある。一人で黙々と努力するだけでは夢の達成は困難だ。夢に向かってひた走る自分の背中を力強く押してくれる「追い風」が必要で、それは、周囲の人々の有形無形の手助けに他ならない。
 キング牧師がどれほど優れた人物であったとしても、彼の夢がどれほど高潔であったとしても、彼一人では公民権運動は成功しなかったろう。彼の語る夢に、賛同し、陶酔し、激しい闘争に加わった市井の人々の助力がなければならなかった。
 それほどまでに人々を魅了する「夢」には、宗教にも似た一種の「純粋性」が求められる。ここでは、個人の打算的な長期的欲求は「夢」とは呼び得ない。

 真の「夢」を抱く人間は、その「夢」と同じく「純粋性」を有した人物であることが多い。
 そして、純粋性はしばしば「馬鹿」とも表現される。キング牧師は「平等馬鹿」だった。その理念の実現のため“だけ”に動いた。
 では、本作の主人公〈金城健司〉は、「ナニ馬鹿」だったのか? 答えは、「サンゴ馬鹿」。
 本作は、当時世界で誰も成し遂げていなかったサンゴの養殖に果敢にも挑戦し成功させた一人の男のノンフィクションを原作にしたハートフルムービーである。と言っても、サンゴの養殖自体が最終的な目的(夢)というわけではなく、サンゴの作り出す「美しい沖縄の海」が金城の夢だ。
 ラストで彼自身の口から訥々と語られる「夢」が本当に美しかった。記憶している限りで記してみる。
「僕が幼い頃、母は言いました。母ちゃんが子どもの頃は、海はもっと綺麗だったんだよ、と。おじいやおばあも言いました。自分たちが子どもの頃は、海はもっと、もっと、綺麗だったんだよ、と。そして今、僕も自分の子どもたちに言っています。父ちゃんが子どもの頃は、海はもっと綺麗だったんだよ、と。このままでは、子どもたちも孫たちに同じことを言うでしょう。だけど、僕は子どもたちに言わせたい。昔の海はもっとサンゴが少なくて、今ほど綺麗じゃなかったんだよ、と」
 このスピーチは、サンゴの養殖が成功した際の学会のパーティーでなされた。出席者のほとんどが、県外(本土)からやって来たスーツ姿のインテリ学者だ。そんな中で、着慣れないダブダブのスーツに身を包み、真っ黒に日焼けした顔の〈金城〉が、そんなことを語る。このラストシーンまで、サンゴ養殖に伴う様々な困難と闘う〈金城〉の悲壮な姿が何度も描かれていたこともあって、感動そして落涙必須のシーンだった。

 沖縄の美しい海にも負けない、〈金城〉の美しい夢。
 そして、「サンゴ馬鹿」の〈金城〉の純粋性に魅かれ、自身を投げ打ってでも協力する妻や家族、友人、その他数多の沖縄の人々。
 繰り返しになるが、「夢」が持つ力を本当に再認識させられる良作だ。


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