【読書】『ことり』小川洋子著
この物語の主人公〈小鳥の小父さん〉の死に方が、僕の理想だ。死に方だけでなく、生き方もそうかもしれない。
ただ、静かに生き、静かに死にたい。
物語は、自宅で孤独死している〈小父さん〉が発見されるところから始まる。
ありふれた独居老人の死だったが、唯一、異質と呼べる点があるとすれば、冷たくなった〈小父さん〉の両腕の中に鳥籠が抱えられていることだった。鳥籠の中では、一羽の小鳥が、おとなしく止まり木にとまっていた。
そして、後に続くページから、孤独死に至るまでの〈小父さん〉の半生の一コマ一コマが丁寧に描かれていく。その筆致には、〈小父さん〉に対する、彼の生き方に対する、著者の親愛の情が確かに感じられる。
孤独な人生が必ずしも不幸だとは限らない。
そんなメッセージを、この物語は発信しているように感じた。
物語の冒頭で主人公の死を予め提示しておく、という手法は、小川洋子が頻繁に用いる手だ。
現在存命中ではなく、既に亡き人の物語というだけで、不思議と物語には静粛さがもたらされる。嬉しいことも悲しいことも、「死」という絶対的な事実の前に均一化され、物語は大きな波を起こし得ない。
普通の小説は、荒れ狂う海に主人公を放り投げ、そこで悶え苦しみ、最後には大波を乗り越え歓喜する主人公を描くことによって、読者を満足させる。
だが、小川洋子の描く物語は、絶えず「死」に収斂し、航海の終着地点はいつも「死」で、その結末は出航前に読者に提示され、だから、彼女の海は常に、凪いでいる。
静かだ。
この静けさが、僕にとっては、例えようがないほど心地よい。
もう、一種のヒーリングセラピーの域だ。
秀逸なエンタメ小説は、僕の感情を激しく揺さぶり、僕を大いに愉しませてくれる。そういう小説を書ける作家は、星の数ほどではないにしろ複数いる。だが、小川洋子のような「静かな物語」を書ける作家を、僕は現時点で他に知らない。
波乱万丈なできごとは一つも起こらない。そこには、〈小父さん〉と、小鳥と、小鳥を通じて〈小父さん〉に関わるほんの少しの人々の、静かな日々があるだけだ。
とはいえ、やはり、物語である以上、多少の揺れはある。今作でも、無神経な人ならば気付かないだろうほどの、「ささやかな揺れ」がある。ささやかだからこそ、その揺れは、貴い。
発達障害の子どもの中には、どんな細かな点であれ、「いつも」と違うことに過剰に反応する子どもがいるという。それまでの生活の中で彼が少しずつ積み重ね、慣れ親しんできた一定のパターン。そこに付けられた小さなキズ。健常者ならば到底気付き得ないほどの、ほんのささいな瑕疵でも、彼らは決して見逃さない。自分の生活が、テリトリーが乱されたと感じ、混乱し、反発する。周囲の健常者は、そのささやか過ぎる「違い」に気付けない。
だから、その「違い」は、貴重だ。
「違い」に気付ける、その子どもの目は、貴い。
僕らボンクラの一般人は、そんな目を持っていない。だから、小説を始めとする芸術が必要とされるのだろう。僕らに「ささやかな揺れ」に気付かせてくれる、そんな特別な目を与えてくれる、小川洋子という作家には感謝せねばならない。