【兵庫】おっさん一人で明石海峡大橋ブリッジワールドに行ってキャッキャした。

海にそびえ立つ塔へ!

 何とかと煙は高いところが好きだと言う。僕もその例に洩れないようで、先日、全国でも屈指の高所ポイントに登ってきた。そしてもちろん、バカっぽく興奮してきた。

 世のバカたちが目指す一般的な高所ポイントと言えば、山の頂や高層タワーだろう。しかし今回僕が登って来たのは、それらとは少し趣の異なる高所ポイントだった。
 今年の夏、僕は海に行っていなかった。「海に行きたいなあ」という想いが、心の奥深くでずっと、燻っていた。いつ、欲求不満が爆発し、都会の雑踏の真ん中で素っ裸になって踊り出しても不思議ではなかった。茫洋たる海原を眺めてガス抜きをしなければ、僕が犯罪者になるのも時間の問題だった。「バカ」と罵られることには耐えられても、「変態」というレッテルを貼られたままこれからの一生を過ごしていく気にはなれなかった。
 だから今回は、「海を眺められる高所ポイント」に向かうことにした。
 「ストレスを抱えたバカ」が向かう先はそこしかなかった。

 ちなみに、海の「癒し効果」を万が一にも疑う人がいるならば、騙されたと思って近くの海辺に出向いてみるがいい。泳がなくとも構わない。一人だって問題ない。ただ、砂浜に座って、水平線を眺める。波の打ち寄せる音に耳を澄ませる。身体中の毒素が、すうっ、と抜けていくことに気付くだろう。ホモ・サピエンスが抱えるストレスの大半は、同じホモ・サピエンスによって生み出されている。彼らから距離を置いて自然と一対一で向き合うことで、ホモ・サピエンスの狭い世界の外にこそ、確固とした幽玄の世界が広がっていることに気付ける。(だから海へは一人で孤独な状態でこそ向かうべきだ。)

ツアーが始まるまで時間の余裕があったので、近くの堤防をぶらついていた。
やはり海は絵になる。

 「海を眺められる絶好の高所ポイント」となると数は限られていた。関西に住んでいる僕の頭には「神戸ポートタワー」などの候補が挙がったが、ネットで検索をかけていると、断トツで僕の胸を躍らせるポイントに出くわした。
 「明石海峡大橋ブリッジワールドツアー」である(公式サイトはこちら)。
 通常ならば一般人は立ち入ることさえできない明石海峡大橋の主塔に登れる、というのだ。
 その高さ、なんと300メートル。東京タワーの333メートルに匹敵する。
 しかもタワーの展望台とは異なり、そこに屋根やガラス窓はない。海抜300メートルの風と空気を肌で直に感じられるのだ。

 バカの血は滾(たぎ)った。
 僕は、ごくり、と唾を飲んだ。
「これは、行くしかねえ……」


 そして、やって来た。
 明石海峡大橋。

(対岸に淡路島が見える)

 僕の頭上には、夏の終わりを少しも感じさせないくっきりとした青空が広がっていた。快晴だ。最高の天気だ。平生は「神も仏もあったものか……」と天を呪ってさえいる僕だったが、この日ばかりは「神様ありがとう、ジーザス!」と天に感謝せずにはいられなかった。台風直下でもそれはそれで面白かったかもしれないが、やはり夏には、青空と太陽がよく似合う。

「橋の科学館」で、明石海峡大橋を学ぶ!

 素っ裸になって海にダイブしたい衝動を何とか抑え込みつつ近辺をぶらついていると、ツアーの時間が迫ってきたので、「橋の科学館」へと向かう。ブリッジツアーはここから始まる。

 館内で僕らツアー参加者の応対にあたったのは、科学館の美人学芸員だった――ということはなく、高齢の男性たちだった。えっ、と思った。性別はともかく、博物館の学芸員にしては年をとり過ぎているのではないか、と思った。一瞬、老人会のツアーに紛れ込んだのかと思った。しかし、やはり彼らが当ツアーのコンダクターのようだった。
 僕は己の不明を恥じなければならないだろう。
 この老人たちこそ、「明石海峡大橋ブリッジワールドツアー」の目玉だったのだから。

 事前にネットで調べていたくせに参加するまでまったく知らなかったのだが、彼らは、実際に明石海峡大橋の建造に携わった技術者たちだという。
 前述の公式サイトから引用すると、

 明石海峡大橋は、(中略)1988年(昭和63年)5月に現地工事に着手し、およそ10年の歳月をかけて1998年(平成10年)4月に完成しました。

https://www.jb-honshi.co.jp/bridgeworld/bridge.html

 とのことである。工事が始まったのは80年代の話である。バブルが弾けるよりも前の、大昔の話である。
 なるほど、当時バリバリの現役だった技術者たちが今、このように老いていることになんら不思議はなかった。

 司会進行役が老人たちということで、ツアー参加者たちの間にはどことなく和んだ雰囲気が漂っていた。海抜300メートルの頂点に生身で立つべく意気揚々と勢い込んで突入したにも関わらず、対応にあたったのが緑茶と煎餅が似合いそうな目尻の下がった温和な老人たちなのだ。緊張が一気に霧消してしまったのか、我々は今から温泉にでも浸かりに行きましょうか、といった風な、生ぬるい空気に支配されていた。
 しかし、老人の一人がツアーの概要や注意事項などを説明し出すと、我々の空気は一変した。

 曰く、「主塔の頂に着くまでに通る道は、観光客のために作られた見学通路などでは決してなく、我々技術者が橋のメンテナンスなどで使うための作業員用通路です。であるからして、過度な安全対策などはとられていません。本日の参加者は大人ばかりなので大丈夫だとは思いますが、物見遊山気分でフザけていると、死にます。本当です。また、安全というのは、我々自身だけに保障されていればいい、などという話ではなく、大橋の利用者すなわち大橋を通行する車両にも保障されねばなりません。主塔の上から下を通る車道を覗き込んだ際などに、万一、カメラや携帯などを落とそうものなら、それが猛スピードで通行中の車両に激突し、大事故に繋がらないとも限りません。くれぐれもご注意下さい」とのことであった。

 これが単なる脅しではないことを証明するかのように、我々には次のようなものが配布された。

 まずは、中央の紙。
 誓約書である。
 仮にこのツアーで死んだり怪我をしたりしてもそれは貴様の責任であってこちらは一切存ぜぬことである、といった風な、いわゆる「免責事項」の定めが入っていた(ような気がする)。
 いずれにせよ、普通の観光で誓約書を書くなどということは稀だ。神戸ポートタワーや通天閣や東京タワーやスカイツリーに上る際に誓約書を書くという話は聞いたことがない。登山者が入山する際に誓約書を書く、という話ならば聞いたことがある。とすれば、これからのツアーは少なくとも登山程度には危険な行為になるということだ。
 配布物の2点目は、左上に写るヘルメットである。工事現場では法律上着用の義務がある。NHKの「ブラタモリ」などでも、タモリは必ずヘルメットを被る。それと同じだろう。
 3点目は、受信専用のトランシーバーとイヤホン(左下の黄色い紐で巻かれてる黒い物体)だ。大橋の上は強風のためにガイドの声が聞こえなくなることが多々あるそうで、ガイドの声は彼の持つハンドレスマイクを通して、我々のイヤホンに届く仕組みとなっている。
 そして画像には写っていないものの、網状のジャケットも配布された。ポケットにはファスナーが付いており、貴重品などの小物は必ずこのジャケットのポケットに入れなければならない。なぜなら、普通の服やズボンのポケットでは、小物類が何かの拍子でこぼれ落ちてしまう危険性があるからだ。

 さて、怪談でも物語るかのような老人の語り口に、我々は十分にビビらされた。それは我々の気を引き締めるのに十分であった。
 休憩に入った際、前の席に座っていたOLの二人連れは、「きゃ~こわいね~」「どうしよ~やめよっかな~」「ここまで来て何言ってんの、一緒にがんばろうよ~」「だよね~、わたし、がんばるっ」「そうそう、がんばルンバだよっ」などといった、安物の洋菓子のような甘っちょろいトークを展開していた。

 僕はと言えば、一人でテンションを上げていた。興奮を高めていた。
 適度な危険は漢を熱くさせるものらしい。

 休憩を挟んで、明石海峡大橋の建造過程をまとめた映像を見せられた。同内容のDVDが参加者には記念品として無料で配布され、それはYouTubeにもアップされているので、気になる方はどうぞ。

 その後、レクリエーション室を出た僕らは、老人の一人(ガイド)の案内で「橋の科学館」の展示物を見て回った。

 部品の実物大のレプリカやミニチュア模型を前に、ガイド役の老人が、大橋の建造に用いられた特殊技術を誇らしげに説明していった。
 彼は、マニュアルはもちろん何らの資料も手にしていなかった。大橋にまつわる知識ならば、橋の長さや架橋線の強度や用いられたボルトの数まで、どんな些細なことでも頭の中に入っているようだった。いや、実際に大橋の建造に携わった技術者なのだから、それらの知識は頭ではなく、その肉体に深く刻み込まれたものだったに違いない。本で頭に詰め込んだ知識ではなく、実際に我が身で経験してきた知識だからこそ、老人の説明には深みがあった。
 また、その語り口からは、「明石海峡大橋建造」という前代未聞の大規模プロジェクトに自らも参加していたのだ、という自尊心や誇りを確かに感じ取ることができた。まるでNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ているかのような感覚に陥った。
 彼が語っていた諸々の専門的知識は既にもうあやふやだが、明石海峡大橋が数多の技術者たちの叡知と努力の結晶だったという事実はこれからも忘れることはないだろう。

 また、老人たちの話で印象に残っているのは、これほどの大規模プロジェクトにも関わらず、建築作業中の死者が0人という事実だった。それも彼らの一つの誇りとなっているらしかった。

 ちなみに今、確実に覚えている知識は、明石海峡大橋が「吊橋」だということである。
 ぶっちゃけ、それすらも知らなかった。2本の主塔から垂れる架橋線は単なるイルミネーション用の飾りかと思っていた。さすが、高いところが好きな「バカ」である。
 大橋は、橋の両端と主塔に頑丈なケーブルを架け、そのケーブルで通行部分(道路)を「吊っている」のだ。橋の両端と主塔の上に直接、道路を架けているわけでは、ない。

 乗用車やバスやトラックが何百台と行き交う道路を吊り上げるケーブルとは、どの程度の強度を備えているのか。
 こちらの写真を見ていただきたい。

 これがケーブルを構成する最小単位だ。(これも参加者には記念品として無料で配布される。)
 次にwikipediaの「明石海峡大橋」の項目から引用する。(ガイドの老人もまったく同内容のことを説明したはずだが、正確な数字などは覚えていないので。)

 吊り橋の命であるメインケーブルは片側1本で計2本、1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されている。そのストランドは127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、ケーブル1本の合計で36830本のワイヤーを使用していることになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B5%B7%E5%B3%A1%E5%A4%A7%E6%A9%8B

 お分かりになっただろうか。先程の写真に写っていた鉛筆の太さ程のワイヤーが「36830本」集まって、一本のケーブルを構成しているのである。

 強度に「月とスッポン」どころか「アンドロメダ星雲とミドリガメ」ほどの差があるとは言え、明石海峡大橋の基本的構造は、ジャングルの奥地で現地人が樹木の蔦などを用いて作る「吊橋」とまったく同じだった。
 最先端の科学技術の結晶とも呼ぶべき「明石海峡大橋」の基本的構造が、古代から存在する原始的な技術と同一であるということにも、驚きを禁じ得ない。

「アンカレイジ」と呼ばれる、ケーブルを地面に繋ぎとめるための「重し」。

明石海峡大橋の内部に潜入!

 さて、いよいよ、大橋の主塔に登るツアーへと繰り出すこととなった。メインのお楽しみは最後に提供されるのである。
 
 我々が登るのは2本ある主塔のうち、本州側に位置する1本だ。そこまでは前述したように歩いて辿り着かねばならない。
 そして、何度も繰り返すようだが、その際に用いる通路は「作業員用通路」である。簡単な鉄パイプや鉄網で造られた簡易なものだ。さらに、主塔の頂上ほどではないが、その通路自体も高所に位置している。
 写真を見ていただこう。

我々が通る通路の簡素さが分かるだろう。
 海を走る船も、あんなに小さく見える。
ビビりながら歩いて行く参加者たち。
 僕は、ここから海に飛び込んだらどうなるのだろう、とずっと考えていた。
足元は床が張られておらず、網目の間から遥か下方の海面が見える。
広めの通路。
この上が道路になっており、車両の通行する音が聞こえる。

「構造物フェチ」には堪らないアングル。




 そうこうする内に、なんとか僕らは主塔へと辿り着いた。
 ここから高速エレベーターで一気に頂まで昇る。

 エレベーターを降りると、ボイラー室のような小部屋に出る。
 部屋の天井の一部に外へと繋がる扉があり、これまた作業用の梯子のような無骨な階段を上って、扉をくぐる。

しかも、扉は可動式となっている。
「ゴ、ゴ、ゴ……」という効果音さえしなかったものの、こちらのテンションを否応なく高めてくれる。




いよいよ、塔のテッペンへ!

 とうとう、僕らは、海抜300メートルの空間へと躍り出た。
 真っ青な空が僕らを迎える。風が髪を躍らせる。この高さまでは潮の臭いも微かにしか届かない。

 さあ、主塔の頂から見渡す下界の景色はどうだろう。

本州側。
都会だ!
淡路島側。
島だ!

 下の道路を通行する車はチョロQどころかまるでケシ粒だし、人間が作り上げた街はあんなにチッポケだし、淡路島という巨大な島も裏山程度の存在に見える。
 なんという、全能感!
 天にまします神となって、下界を眺めている気分であった。

先程言及していたケーブル。
このケーブルの上を、滑り台のように滑っていきたかった。
さぞかし気持ちのいいことだろう。
「ガイド役の老人(元技術者)が女子大生たちに熱心に何かを説明している」の図。



 青い空を雲が流れ、海上を船が行き来し、海鳥が僕らより低い位置を飛んでいる。
 天空の世界をずっと堪能していたかった。
 しかし、下界に降りる時刻が訪れる。

 いいものを見たなあ、という思いを胸にして、橋を後にした。


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