【映画】「パラサイト 半地下の家族」を観た感想――格差社会の異常性から目を背けた結果・・・

※ネタバレがあります。

 底辺のこと見下してると、殺されっぞォ?

 以上。それだけの話。

 で、終わらせてもいいくらいなのだが、いくつか感想を書きたい。

エンタメか社会派か。

 カンヌ映画祭を制しただけあって、重厚な社会派作品だ。
 現在、各国の共通の問題となっている「経済格差」を題材としていた。
 数年前に日本映画の「万引き家族(是枝裕和監督)」も同映画祭で最高賞を獲得しており、カンヌが求める映画像は容易に想像できる。


 ただし、それら類似の社会派作品と本作が大きく異なる点がある。それが、圧倒的なエンターテイメント性だ。
 本作はカンヌだけでなく、アカデミー賞でも作品賞などに輝いている。
 物語上のミステリーやサスペンス。散りばめられたユーモア。映像、音楽、俳優の仕草といった演出的技巧。様々な仕掛けで観客を決して飽きさせない。

 日本映画のような、隠喩に富んだ抑制的な表現。ハリウッド映画のような、スリリングな筋書き。両者が合わさって、「社会派かエンタメか」という従来の区分けなど無意味になるような、新時代の映画になっていた。
 また、僕の知っている韓国映画――「猟奇的な彼女(クァク・ジェヨン監督)」や「私の頭の中の消しゴム(イ・ジェハン監督)」――ともまったく異質な作品だった。ただ、韓国映画の有する物語の圧倒的牽引力の遺伝子は受け継いでいる気がした。




僕が選ぶシビれたポイント3つ。

 本作には優れた個所がいくつもあるが、個別の具体例については各種の映画評論サイトに譲ることにして、僕が気に入った点をいくつか取り上げたい。

①経済格差をダイレクトに「高低」で表した演出。

 これほど分かりやすい隠喩はないだろう。
 陽光が明るく降り注ぐ地上を富者が独占し、貧者は薄暗い地下に押し込められる。
 タイトルにもある「半地下」とは、朝鮮戦争の時代に多くの建物に設けられた地下シェルターを、後年になって住空間に改築したものだ。
 換気は悪く、害虫が大量発生し、下水管の位置が床よりも高いためトイレの便座が天井近くにある。そんな劣悪な環境で、主として貧困層が暮らしている。

 また、韓国も他の多くの国と同じく、水害の危険が少ない高台は高級住宅街で、低地は半スラム化した貧困街だ。

 台風の夜のシーンが、韓国に存在する圧倒的な経済格差を象徴していてシビれた。
 裕福な家庭では、台風の夜でさえ、遠くに稲光が閃く幻想的な夜だ。一方、貧困家庭では、大雨で半地下の家が完全に水没し、溺れそうになりながら家財道具を運び出す。その水は汚水まみれだし、感電の危険もある。
 高級住宅街(高台)から貧困街(低地)へと続く坂道や階段を雨水が滝となって流れ落ちていく。濁流は貧しい人々の生活を無慈悲に飲み込んでいく。
 トリクルダウン? 金持ちが下に落とすものは厄災ばかりだ。そんな貧者の声が聞こえてきそうだった。

 舞台設定(家や街の高低差)がそもそも「経済格差」というテーマと絶妙にマッチしているのだが、それを際立たせる演出もまた巧みだった。
 左右ではなく上下に移動するカメラワークや、階段を上り下りするシーンの多用だ。
 地上から地下へ視点を移していけば場面が転換したことが容易に分かるし、地下の住人が階段を上って地上に出てきたならばそれは異常な事態なのだ。

 資本主義に伴う経済格差、搾取する者と搾取される者。こういったテーマで、「地上/地下」を隠喩に用いる作品は意外と多いのかもしれない。
 例えば、「タイムマシン(ウェルズ)」でも、地上と地下が反転しているものの、近未来で人々の一部は「地底人」へと進化している。

②「臭い」ものにはフタをする。

 本作の中の富裕家族の夫婦は、家政婦や運転手として雇っている貧困家族のことを「臭い」という。
 面と向かって指摘することはないが、陰口を言ったり、気付かれないように鼻を摘まんだりする描写が度々ある。
 一方、貧困家族は自らの臭いに無自覚だ。自分が臭いということにさえ気付いていない。

 貧困家庭の会話に次のようなものがある。

貧困家族の夫「奥さん(雇い主である富裕家族の妻)は金持ちなのに純粋で優しい人だよなあ」
貧困家族の妻「違う、金持ち”なのに“じゃなくて金持ち”だから“さ」

 本作における「臭い」とは、貧困層が生き抜く上で身に付けざるを得ない「汚れ(穢れ)」の隠喩だ。

 本作の貧困家族は、雇い主である富裕家族のために汗水垂らして働く。富裕家族はそんなことをする必要がない。
 貧困家族は、富裕家族に雇ってもらうために、経歴詐称などの悪事に手を染める。富裕家族はそんなことをする必要はない。
 貧困家族は、富裕家族に気に入られるために卑屈に媚びへつらう。富裕家族はそんなことをする必要はない。

 貧困家族の「臭い」、その対照としての富裕家族の純粋さ。
 贅沢な暮らしの陰で大量の廃棄物が産出されるように、富裕層の優雅な暮らしの陰には貧困層のおぞましい暮らしがある。
 こう考えると、パラサイト(寄生)しているのは貧困層なのか富裕層なのかが分からなくなってくるだろう。

 そして、もっとも罪なのは、富裕層がその貧困層の「臭い」から故意に目を背けていることだ――本作はそう明確に主張していた。
 自分たちの優雅な暮らしの裏で苦しんでいる貧しい人々の存在に確かに気付いているのに、「臭いものにはフタをしろ」と言わんばかりに、その事実をあっさりと無視する。目を背ける。
 ラストに起こる殺人は、そんな富裕層への貧困層の衝動的な復讐劇に過ぎない。

③過剰な悲劇はもはやコメディという古典的王道。

 これまで述べてきたように、本作のテーマは非常に重苦しい。物語も悲劇的だ。
 しかしながら、僕は本作で何度も笑った。これは僕が異常者なのではなく、製作者側が意図的にユーモアを散りばめているからだ。

 本作では、貧困家族の妻が雇われる前に富裕家族によって雇われていた元家政婦とその夫が大きな役割を担っている。
 貧困家族の状況は確かに悲惨なのだが、下には下がある。
 元家政婦とその夫という「下の下の存在」を作品に組み入れた意義は、明らかに観客の共感を誘うことではなく、むしろその異常性を際立たせることにあろう
 それによって生じるブラックユーモア。

 チャップリンの「独裁者」が面白いのは、ヒトラーとそれを受容した当時のドイツ社会の異常性を際立たせて描いているからである。


 貧困層の「臭い」を異常なほどに際立たせ、もはやコメディレベルにまで昇華した存在が元家政婦とその夫である。
 具体例を逐一挙げたいところだが、楽しみを奪うだけだろうから止めておこう。

 だが、本作が終始重苦しい雰囲気に包まれた暗い作品かというと、決してそんなことはないことだけは保証する。
 人間存在の不条理さに不謹慎ながら笑ってしまう。そうなるように制作されている。
 重厚なテーマ、スリリングな展開、芸術的な演出。それらに負けないユーモアセンスがあったからこそ、本作は大成功を収めたのだろう。

 なお、「下の下」の2人の諧謔性は、役者の演技からだけでも十分に味わえるが、その元ネタは北朝鮮にあると知っているとさらに興味深く鑑賞できると思う。リスペクツッ!


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