【美術館】THEドラえもん展(OSAKA2019)に男一人で行ってきた。~前編~

 こんなこといいな、できたらいいな。

 と、子どもの頃は無邪気に夢想していたものです。
 大人になった今、自分という存在の矮小さに気付き、できることには限りがあると知ったのです。

 なんて言うと思うな。
 大人になっても夢想しまくり。
 臨終の床の中でも、来世を夢想する。
 それが男子。

 というわけで、大阪文化館で開催されていた「THEドラえもん展(OSAKA2019)」に行ってきた。


「あんなこといいな 出来たらいいな(村上隆)」

大人向けの「ドラえもん」。

 おっさん一人で行ってきたわけだが、問題は何もなかった。

 というのも、本展は明らかに「大人向け」の美術展だったからだ。

 子ども”も”楽しめるように作られていたかもしれないが、主たるターゲットは大人だ。
 暴力的・性的と捉えられかねない作品もあるし、大人が幼少時代を懐かしむようなノスタルジックな作品もある。

芸術は、性(生命)を避けて通れない。

 例えば、次の作品はどうだろう。


「キセイノセイキ~空気~(会田誠)」


 この作品の淫靡さが子どもに伝わるだろうか。

 〈ドラえもん〉の秘密道具で透明になった〈しずかちゃん〉が、シャワーを浴びている。
 その程度は分かるかもしれない。

 だが、タイトルとの関係は分かるだろうか。
 裸の〈しずかちゃん〉がなぜ透明でなければならないのか。カタカナのタイトルを漢字になおすとしたら、どのような文字が相応しいのか。

 また、〈しずかちゃん〉の身体にかかっているのは本当に水なのか。
 シャワーから出てくる水がミルクのように白いのは不自然ではないか。身体をあえて透明にすることで、その輪郭をなぞる水(のような白い液体)にわざと注意を向けさせている意図とは。

 無邪気に裸体を描いている原作と、この作品のどちらがキセイにふさわしいか。

「僕らはいつごろ大人になるんだろう(坂本友由)」


 このアングルを性的なものと捉えるようになったら、君は既に大人になりかけているんだ――というのが答えか。

 この絵画の元ネタは、大長編ドラえもん「のび太の宇宙小戦争」の一場面。
 小人の星で、スモールライトの効果が切れ、元のサイズに戻った〈しずかちゃん〉である。(小人の星なので、通常のサイズに戻っただけで地球人は”巨人”となる。)
 映画の主題歌「少年期(武田鉄矢)」の歌詞「ああ僕はどうして大人になるんだろう ああ僕はいつごろ大人になるんだろう」から、この作品のタイトルは付けられたと思われる。(ちなみに、「少年期」は名曲としてドラえもんファンの間で有名。)

 巨大なキャンパスに写実的に描かれた〈しずかちゃん〉を、下から眺める僕ら。
 「被写体を捉えるアングル」という点でも見ごたえがあった。(原作漫画は俯瞰的で、下から見上げるような構図にはなっていない。)
 「小さな女の子(しずかちゃん)の巨大さ」という表現のギャップが効果的だった。

「しずかちゃんの洞窟(へや)(鴻池朋子)」


 この作品を見て、本展は大人向けだと確信した。
 だって、幼児が「ママこれ怖い~」つって泣いてたし。

 この作品は、絵としては本展の中でもっとも巨大。画材には牛皮などが使われているとのこと。

 「生命力」「母の包容力」のようなものをテーマにしているのは間違いないだろう。(個人の感想。)

 これまた裸体で〈のび太〉〈ジャイアン〉〈スネ夫〉そして〈しずか〉が描かれている。
 が、その中で唯一目を開けているのは〈しずか〉だけ。それ以外の3人は目を閉じている。
 男3人は若干身体を丸めており、それは「母親の腹の中の胎児」を思わせる姿勢だ。
 カエルの卵のような球体は、受精卵や細胞をも思わせる。〈ドラえもん〉の丸い頭もそこに重ねられているが、それもまた目を瞑っている。

 なぜ〈しずか〉だけが目を開けているかと言えば、作者が彼女を庇護者、大いなる生命の源、母として捉えているからだろう。
 「洞窟(へや)」とは、〈しずか〉の中にあるソレのことだ。

 目を瞑った男子3人は、まだ「性の目覚め」に至っていないとも読み取れる。
 描かれた動物たちからは、「失楽園のヘビ」や「男はオオカミ」といった連想も容易になされる。

「ドラえもん」という存在が既に〈タイムマシン〉である。

「山本空間に突入するドラえもんたち(山本竜基)」

 アニメ「ドラえもん」は、大山のぶ代が声優を務めていた時代を含めると、実に40年近い歴史がある。
 漫画も含めて、幼少期に「ドラえもん」というコンテンツに触れなかった人間は稀であろう。
 我々は「ドラえもん」という存在に触れることによって、幼少期を思い出す。「ドラえもん」は古い記憶の扉を開ける鍵だ。
 それに触れるだけで過去が鮮やかに蘇るというだけで、もはや「ドラえもん」という存在自体が〈タイムマシン〉といっていい。

「タイムドラベル(渡邊希)」



 タイムトラベルには、恐竜が生きていた太古や〈ドラえもん〉のやってきた未来などの「未知なる世界」に旅立つパターンと、小学生の〈のび太〉が過去や未来の自分や周囲の人々に会いに行くパターンの、大きく2つがある。
 どちらも大いに夢のある話なのだが、大人がいっそう魅かれるのは、もしかしたら後者の方かもしれない。
 過去への旅に強く魅かれるのは喪失の不可逆性を克服できるからだし、未来への旅に強く魅かれるのは自らの行く末が気になってしょうがないからである。
 大人になるほど、自分に直接関係のない太古や遠い未来には興味がなくなるのかもしれない。

 後半に続く。


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