「進撃の巨人展 WALL OSAKA (2015大阪)」に一人で突入してきた。


 僕は囚われていた。
 独りきりの、せまくるしい空間に。

 壁の外では、リア充どもが跋扈していた。
 街中に溢れかえる奴等を、僕は何より恐れていた。

 結局、陰キャの僕には、「壁の内側に留まる」という選択肢しか与えられていなかった。

 それもいいさ。
 と、僕は呟く。
 今日という日を「安息日」の名に相応しいものとする為には、このまま自宅に閉篭もっているのも悪くない。

――悔しくないのかよ。

 誰かが言った。

――俺たちのように、巨人に喰われるわけでもないだろ。

 誰だ?

――リア充なんかに負けてんじゃねーよ。

 それは外に出ろ、ってことか? リア充どもが蠢く日曜の繁華街に?

 ……返事はなかった。
 自室の床の上に「進撃の巨人」のコミックが数冊散らばっていた。
 僕の中で叫び声が響いた。

―門を開けろ! 開門せよ!

 そのようなわけで、「進撃の巨人展 WALL OSAKA」に一人で突入してきた。

鳥籠の中で一生を終えるのか。
抜け出すために戦うのか――。

どちらも
同じ一生だ。

ようこそ
ウォール・オーサカへ。


と、会場入り口の壁に書かれていた。


 客層は老若男女種々様々だった。
 正直、驚いた。「進撃の巨人」の支持者は、10~20代が中心で、あとは一部の特殊な中年男性くらいかと思っていた。違った。還暦を越えてそうなスーツ姿の爺さんもいれば、主婦友らしい中年女性の二人組もいた。
 それは、「全世代の心に響く何か」を「進撃の巨人」という作品が有していることの証左だった。

 そして想像以上に“ぼっち”が多かった。
 こちらも老若男女問わず。どいつもこいつも童貞喪女オーラを眩く放っていた。テレビやパソコンの画面の中でしか見たことのないような奇抜なファッションに身を包んだ方々もちらほらおられた。
 安心した。僕は大いに安心した。
 会場内では、リア充どもの駆逐が僕の同胞によって順調に遂行されていた。

360°体感シアター 哮


 最初に「360°体感シアター 哮」を体験した。
 専用のゴーグルとイヤホンを装着して体験が始まる。

 映像自体はよくある3Dアニメだったが、画面が上下、前後、左右と無限に広がっていた。
 通常の3D映像ならば視点を右に移動していけば、どこかに必ず終わりが訪れる。いくら3Dとは言っても画面の右端よりさらに右を見ることはできない。
 しかし「哮」では、どれだけ右に視点を移動させようとも画面が途切れることはない。結局はくるっと一回転して元の位置に戻ってくるだけだ。

 目の前のキャラが喋っていても、それを無視して背後を見ることが可能だし、そしてそこには忍び寄って来ていた巨人がこちらの様子を伺っていたりして、「あれ? 皆さん、巨人化した〈エレン〉に注目してらっしゃいますけど、後ろに巨人が迫ってますよ」と思っていたら、案の定、背後から巨人に襲われて、〈ミカサ〉や〈アルミン〉が叫びだして、仲間の誰かが、ブシャッ!! と喰われたりする。

 突然地面が暗くなって巨大な影に覆われたので「何だ?」と思って上を見上げたら、大岩を担いだ巨人〈エレン〉が僕らの頭上を跨いでいる最中であったりする。

 そして、〈立体起動装置〉を用いての飛行。
 建物や巨人たちが近づいてきたと思ったら、後ろにすっ飛んでいく。後ろを振り返ったら、獲物を逃がした巨人がちゃんとこちらを見ている。横を向いたら訓練兵の仲間が一緒に跳んでいるのが見えるし、下を向いたら地面は遥か遠いし、上を向いたら空が青い。

 横からすっと腕が伸びてきて、巨人に捕まり、ぱっくり開いた巨人の口の中が赤くて、綺麗に赤くて、それ自体が生き物のような巨大なぶ厚い舌がぬめりと動いて、僕を味わい尽くそうと躍動していて、咽喉の奥を見たら洞窟のような冷たい暗さで、ひっ、ひっ、ひっ、まさかの「ジ・エンド」パターンかよ、「ハッピーエンド」じゃねえのかよ、俺ら客なのに喰われて終わりかよ、と思っていたら、やっぱり仲間がちゃんと助けてくれたりする。

 確かに体験したことのない近未来アクティビティだった。面白かった。

通常展示① 寸劇

 通常展示は、寸劇から始まる。訓練兵を演じる進行役の女性が結局最後には喰われるのは、お約束。

 USJで体験したのと同じようなものだった。生の演者と、映像と、轟音の音響、閃光照明、送風機から送られる強風……。地面に置かれた瓦礫(のレプリカ)は、シーンに合わせて振動した。

 「進撃の巨人」は作品の内容自体がショッキングなものであるから、映像や音響を少し過激な演出にするだけで「衝撃的な」二次作品が容易く完成する。
 本展が「R-13」なのも納得か。

通常展示② 原画展


 寸劇が終わって次の部屋へ案内されると、そこは『進撃の巨人』の生原稿が幾枚も壁に並べられたギャラリーとなっていた。

 予想以上に展示されている原稿の枚数は多い。
 印刷には出てこない、ホワイトでの修正あとや、インクの立体的厚みなど、原画でしか味わえない何かがそこにはあった。

 また、漫画の原画用紙ってこんなに大きいんだな、と率直に感じた。
 カラー原画など、まるで手書きのポスターのようだった。

 各原画の右下には、作者のコメントが添えられている。

上のカラー原稿に対する作者のコメント。


(意外な事実が分かることも。
へー。原作漫画とアニメで違うところも結構あるんだ)↓


(左上に「少年マガジン特製漫画原稿用紙」の文字)↓

(www)↓


スポンサーリンク


通常展示③ 諫山創作ったもの

 『進撃の巨人』の作者である諫山創が、影響を受けた漫画・アニメ・ゲームなどを、自身の回想と共に紹介する。
 『地獄先生ぬ~べ~』や『ARMS』などが挙げられていた。確かに、不気味な〈巨人〉たちが肉弾戦を繰り広げる場面など、それら先行作品との類似がみられるように思う。特に後者の影響が強いんだろうな、と思った。
 やはりどんな漫画家も、既存の作品から何かしらのインスピレーションを受け、それを創作の一助としてきたのだろう。

通常展示④ 諫山創作ったもの


 まず、諫山創が原稿を描く姿を収めたショートムービーが流されていた。
 作者の姿だけでなく、ちゃんと手元(机の上の様子や原稿のアップ)も映されている。どのように原稿が出来上がっていくのかを、時間の流れとともに、まざまざと感じとれた。

 その他、作者の創作の歴史が、幼少期から振り返られる。
 まー、ぶっちゃけ、幼少期から振り返る必要があったのかは、不明w

(「表現の目覚め」、らしい)↓


(高校の文化祭で校舎の壁面に描いた作品の下書き)↓


(高校の書道の授業にて)↓

 その他にも、諫山創のデビュー作となった読み切り版「進撃の巨人」の原画もあった。
 その中の台詞が明らかに〈巨人〉の謎に繋がるものだった。読み切り版と現行版の物語が同一とは限らないが、「やはり、そういうことだったのか。〈巨人〉を”造った”のは……」と思考が進んだ。

通常展示⑤ 「進撃の巨人」に登場するアイテムたち

 精巧に模倣された架空世界の小道具たち。
 博物館の化石から古代生物の姿を生き生きと連想するように、これらの小道具から僕は『進撃の巨人』の世界をよりリアルに想像する。

(立体機動装置)↓

(リヴァイのブレード) ↓

(リヴァイのハタキ) ↓

(イルゼの手帳) ↓

見終わって……


 僕は、もっと外の世界に踏み入らなければならない。
 そこは、リア充どもが跋扈する、危険に満ちた荒野であるかもしれない。

 だが、怯えたまま自室に篭もり続け、そのまま死を向かえてもいいのか?
 〈外〉の世界には、今回の「進撃の巨人展」のように僕の心を躍らせてくれる何かが沢山あるんじゃないのか?

 僕は外に出る。

 〈エレン〉たちのように勇気を持って。 

(この記事は2015年に書いたものです。引きこもりから脱却したとはいえ、仕事以外でほぼ外出することのない日々を過ごしていた頃ですね)


スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA