【美術館】THEドラえもん展(OSAKA2019)に男一人で行ってきた。~後編~

 この記事は後編です。前編↓

 今回のドラえもん展では、「ドラえもん」の中に性やノスタルジーを見出している作品に最も興味を引かれた(前編参照)。
 しかし、もちろん他にもさまざまな芸術家が「ドラえもん」の中にさまざまなものを見出していた。以下、順不同で列挙していきたい。

自分の作風の中に「ドラえもん」を付け加える。

 一番多かったパターンが、「ドラえもん」を自分の絵柄の中にダイレクトに落とし込むという手法だ。
 これは特に思想や主張が込められているわけではない(と思われる)ので、純粋に絵の美しさをじっくり鑑賞して楽しめる。

「To the Bright~のび太の魔界大冒険~(篠原愛)』

「静かな決意(れなれな)」


 両作品とも「大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険」の一場面を描いている。
 前者は、魔界の幻想的な雰囲気が作者独特の絵柄と非常にマッチしていた。
 後者は、墨絵ではなく、黒板にチョークに描かれたものだという。パノラマサイズのキャンパスと合わさって、「ドラえもん」とは思えないほどの緊迫感や迫力がある。

「ドラえもん」に理想や未来を託す作家たち。

 「ドラえもん」では基本的に半径数メートルの身近な世界が描かれる。藤子・F・不二雄の「SF」とは「すこしフシギ」のことで、壮大なサイエンスフィクションのことではない。
 ところが、そうした基本的な執筆姿勢にも関わらず、手塚治虫の薫陶を受けた影響か、藤子作品にはその子ども向けストーリーの裏に意味深長なテーマが隠されていることが往々にしてある。
 「ドラえもん」を深読みする大人は数多いし、中には「ドラえもん」を道徳の書と考えている人すらいるくらいだ。

 本美術展でも、「ドラえもん」に未来や理想を見出す作品がいくつか見られた。
 ユートピアを直接描く作品もあれば、ディストピアを描くことで間接的に理想の未来を語る作品もあった。

「ときどきりくつにあわないことするのが人間なのよ(近藤智美)」


 こちらは「大長編ドラえもん のび太と鉄人兵団」を題材としている。
 「入りこみ鏡」を区分線として、上部に現実世界が下部に鏡面世界が描かれている。
 タイトルは、原作中において重傷の敵ロボットを助けた〈しずか〉のセリフである。〈しずか〉が敵ロボットの〈リルル〉を介抱している様子が鏡面世界(下部)の右上に描かれている。

 明らかに作者は、現実世界(上部)と鏡面世界(下部)を対比し、後者を理想世界として描いている。
 原作では、巨大ロボットを思いきり暴れさせられる「無人の世界」が欲しかったから鏡面世界が作られたにすぎない。そこに、善悪や美醜の区別はない。
 ところが、この作品では、現実世界(上部)では人間の悪や醜が、鏡面世界(下部)では人間の善や美が象徴的に描かれている。
 〈しずか〉が〈リルル〉を介抱するシーンに代表されるように、鏡面世界(下部)が理想の世界である。一方で、現実世界(上部)は、汚い。批判的な意図も十分に汲み取れる。

造形美術もナナメ上をイッちゃってる。

 平面絵画も各作家の趣向が見られて楽しめるが、造形美術も負けてはいない。
 各作家がさまざまなドラえもんの捉え方を提示してくれた。

コイケジュンコ作品


 「四次元ポケット」からどのようにして巨大な秘密道具(例えば「どこでもドア」)を出しているのか、出し入れの際に物体はどのように大きさを変えているのか、長年の疑問ではあった。

 「もちろん、こうでしょ? 原作でもこうじゃん」とこの作品(写真・手前)は語っていた。
 このようにして造形物でまざまざと見せつけられると納得するしかない。
 この「どこでもドア」の曲線美、ニュッ、と出てきた感じよ。

 後ろに写っている青い服を着たマネキンは、もちろん〈ドラえもん〉がモデルである。
 〈ドラえもん〉は、自分の体型にコンプレックスを持っている。
 アニメ(旧作)のエンディングテーマ「ぼくドラえもん」は、藤子・F・不二雄が作詞しているのだが、この内容が酷い。一部抜粋しよう。

あたまテカテカ さえてピカピカ
それがどうした ぼくドラえもん

たんそくモタモタ おとはドカドカ
それがどうした ぼくドラえもん

すがたブグフク おなかマルマル
それがどうした ぼくドラえもん

 子ども向けキャラクターとしての愛らしさや親しみやすさを出すために先生は〈ドラえもん〉をこのように造形したのだろうが、〈ドラえもん〉自身は自分の容姿について不満を抱いている(という描写が原作に度々見られる)。
 彼のコンプレックスに気付き、八頭身の”きれいなドラえもん”を造形したのが、この作品なのだろう。

 ※写真を撮るのを忘れたのだが、「救世銅鑼エ門(小谷元彦)」という作品はもっと凄い。スゴい。
 八頭身のイケメンスタイルであるばかりか、「ロボット」という言葉からイメージされるようなメタリックな金属製の外装なのだ。
 カッコよすぎであった。これが〈ドラえもん〉自身が憧れるネコ型ロボットの容姿なのかもしれない。

まとめ

 以上、紹介した以外にも興味深い作品が山のようにあった。というよりも興味深い作品しかなかった。
 それはもちろん第一には各作家の力量による。着眼点や表現力はまさに第一線の人々のそれで、嘆息するしかなかった。
 一方で、僕がこれほど興味深く鑑賞できたのは、すべての作品が「ドラえもん」へのオマージュ作品だったからでもあろう。僕のようなドラえもんファンならば、100%、間違いなく、絶対に、楽しめる美術展であった。
 また、さまざまな観点や思想を引き出せる「ドラえもん」という作品の偉大さに改めて感服した美術展でもあった。

「さいごのウエポン(増田セバスチャン)」

 美術展を巡った後に、美術館に併設されたカフェでコラボメニューを食べた。

「ドラえもんラテ」「アイスどらやき」。

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