【映画】「アナと雪の女王」と「マレフィセント」――白馬の王子様はもう要らない。

 “ありのまま”で生きるために、異性の存在など必要ではない。

 あのディズニーがここにきて、「恋愛至上主義」的なメッセージを相次いで発信し続けている。
 おとぎの国のお姫様たちは、ハイヒールを履いた現代女性たちによって踏み潰されかけている。昔話や寓話を源流に持つファンタジーの世界においてでさえ、現実世界の女性たちが臭気を放っているのだ。

 女性フェミニストにとって白雪姫は憎悪の対象だ。悪い魔女に取って代わって白雪姫をぶっ殺してやりたいと、彼女らは思っているに違いないかもしれない。
 なぜって、白雪姫は物語の主人公でありながら、人生の主役ではないからだ。
 彼女の物語(人生)は、彼女自身ではない存在によって決定づけられている。絶望や苦境から彼女を救うのは、彼女自身ではなく、七人の小男やイケメン王子である。男性が主人公の昔話で、ハッピーエンドが主人公自身(の勇気や努力)によって獲得されるのとは対照的、というわけだ。
 フェミニストに言わせれば、世界で最も美しいという白雪姫の容姿でさえ、批判の対象だ。外見で女性を判断するな、という単純な話ではなく、外見は女性自身の行動(選択や決定)によって獲得できない偶発的要因にすぎないからだ。偶然事によって人生が大きく左右されるということは、リベラルな女性フェミニストにとっては受け入れ難い。
 白雪姫などという顔がいいだけのバカ女が世界の幼い女の子たちの憧れの対象となっていることに、女性フェミニストたちは内心、腸が煮えくり返る思いだったに違いない。大鍋の中でぐつぐつと煮えたぎる魔女の薬のように、胃袋の中で胃酸が煮えたぎり、もう少しでストレスで胃に穴が空くとこだったろう。

 そんな魔女女性フェミニストたちに思いもよらない朗報が飛び込んできた。

 ディズニー映画「アナと雪の女王」の大ヒットと、その後続作品「マレフィセント」である。

 両作品で“白馬の王子様”像は見事にぶっ壊される。見ていて気持ちがいいほどに。
 そうだ、これが現実だ! 上映中に僕はそう叫び出しそうだった。
 幼女たちの“白馬の王子様”幻想は木っ端微塵に砕け散るわけで、うわーディズニーないわーコレはないわー、と僕の中の白雪姫が呟いたが、バーカこれが現実なんだよクソ女、と僕の中の誰かが白雪姫を嘲っていた。



「アナと雪の女王」では、雪の女王〈エルサ〉が意図せず魔力を暴走させてしまい、それによって凍死しかけた女王の妹〈アナ〉に、〈アナ〉の婚約者である近隣国の王子がこんな言葉を放つ(ニュアンス)。

「さっさとくたばれ。お前(妹)が死んで、その犯人が女王(姉)だってことになれば、この国の王位は今すぐ俺のものだ」

 この王子、実は長子ではなく、自国での王位継承順位は極めて低かったため、最初から〈アナ〉と婚約することで他国の王位を狙っていたのだ。

 雪の女王の魔法よりも冷たい、最高にシビれる悪王子の台詞だった。

 成人向けの娯楽作品ではよくある展開なのだが、それをディズニーがやってしまったところに斬新さがある。
 幼いうちから現実世界の厳しさを女の子たちには教え込まねばならない。

 ちなみに、では誰が凍死寸前の〈アナ〉を救ったのかということだが、姉である雪の女王である。彼女の魔法は真実の愛によって溶けるのだ。雪の女王が〈アナ〉の額にキスをすると、魔法は解けた。
 ここにおいて、「異性愛」は見事に否定され、「姉妹愛」が作品のテーマとなった。


 では、一方の「マレフィセント」ではどうだろうか。

 作品の主人公〈マレフィセント〉は、有名な昔話「眠り姫」の悪役である。
 オリジナルの「眠り姫」では、〈マレフィセント〉の魔法によって永遠の眠りに落ちた眠り姫を救うのは、白馬の王子様のキスであった。
 しかし本作で、真実の愛の象徴であるキスを眠り姫に授けるのは、他ならぬ〈マレフィセント〉自身なのである。自分で魔法をかけておいて自分で魔法を解くというわけだ。

 あらすじは以下の通り。
 後に眠り姫の父親(国王)となる青年は、隣国の妖精〈マレフィセント〉と種族を超えた愛情を育んでいた。しかし、領土拡大を企む先代の国王(眠り姫の祖父)が、強力な魔力を持つ隣国の妖精〈マレフィセント〉を倒した男を娘と結婚させ後継者とするという宣言をしたことで、一国の統治者になれるという欲に青年は目が眩んでしまう。そして青年は、〈マレフィセント〉を騙し、彼女の背中に生えていた妖精の羽を無理矢理むしり取る。それを〈マレフィセント〉を殺した証として前国王に捧げたのだ。
 愛していた男に裏切られた〈マレフィセント〉は、復讐を固く心に誓う。
 そして、男の元に生まれた女の子(眠り姫)に呪いをかけた。しかも、すぐには殺さず、美しく育ち、娘に対する男(国王)の愛情がピークになった時期に、その愛する娘を永遠の眠りにかけるという呪いを。

 ここでは「異性愛の否定」が憎悪にまで高められている。

 ダークサイドに堕ちた妖精〈マレフィセント〉に、愛を思い出させたのは誰か。眠り姫である。養豚場の飼育員が、最後には屠殺しなければならない豚が成長して丸々と肥え太っていくのを見るうちに、なんか豚に愛着を覚え出して、殺すの可哀想になってきたわ、みたいな。そんな感じで、眠り姫の成長を傍で見守り、あるきっかけで直接の交流を持つうちに、〈マレフィセント〉は純粋な眠り姫に愛情を感じるようになっていくのである。
 そうして、自身の呪いによって姫が眠りに落ちた時、真実の愛=キスによって姫を眠りから目覚めさせ、忘れていた愛を取り戻し、結果として、自身をも憎悪から救い出すのである。



「異性愛の否定」を象徴する出来事によって、妹や子どもといった愛すべき存在(もちろん、その愛は異性愛ではない)が窮地に追い込まれ、それを救うのが雪の女王であり〈マレフィセント〉、すなわち主人公なのである。
 保守派の爺婆が長年子どもに語り継いできた伝統的な寓話の中にこっそり紛れ込んでいた男性優位の思想が、「アナと雪の女王」や「マレフィセント」には見られない。


 こうして、魔女女性フェミニストたちは溜飲を下げた。
 そして、世の母親たちは、これらの映画を娘と一緒に見ることで、おとぎ話のお姫様たちを自らのハイヒールでグシャっと踏み潰したのである。娘の目の前でね。「これで分かったでしょう。男どもに期待するバカ女になんてなっちゃダメ。自分の幸せは自分でつかみ取るの」ってね。

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