【読書】『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子著
通常の人間は、この小説の主人公のように、老年を迎えてからやっと、孤独に対する対処法を体得するらしい。子が独立し伴侶と死別するまでそれについて深く考える必要に迫られなかったというだけで、主人公〈桃子さん〉の人生はめでたい。
世間から隔絶された人間は、孤独に対する処方術の一つとして、話し相手を求め、自分の中に複数の人格を作る。「私」の中の「他者」と会話をするのだ。
僕も「僕」の中に何人か人格を飼っていて、時折、雑談し、議論し、馴れ合い、喧嘩する。
本作でも、〈殻〉としての〈桃子さん〉の中に複数の人格が同居し、彼らは活発に対話をしている。(ちなみに、本作の語り手も〈桃子さん〉が作り出した人格の一つで、三人称形式に擬製した一人称形式の小説である。)
が、僕と〈桃子さん〉で決定的に異なる点がある。
それは、僕の中の他者がもっぱら架空の人物であるのに対し、〈桃子さん〉の内にいる他者が過去の〈桃子さん〉や今は亡き親類縁者だということだ。
確かに現に彼らは存在しないが、過去には確かに存在したのだ。彼らが深く沈殿した〈桃子さん〉の記憶を甘く蘇らせ、「私は精々生きた」という矜持と共に、「私は私で一人で逝く」という覚悟を彼女に与える。
過去が未来を作り、生が死を肯定するのである。
本作の帯に「青春小説の対極、玄冬小説の誕生!」とあったが、要は厳しい冬を迎えるには、春から秋にかけての豊かな蓄えが必須ということで、春にも夏にも秋にも実りを蓄えられなかった生来の孤独人間は冬を迎えたらば凍えに凍えてブッ倒れるしかねべなーということで、僕、オワッタ。